「幸せへのステップ」
(1)夫:30代(自営業、海外在住)
(2)パートナー:30代
(3)子:なし
(4)既婚or未婚:未婚
(5)同居or別居:別居
(6)プログラム参加期間:4年1ヶ月
ーはじめに、プログラムに参加する目的ー
私は暴力の選択を手放す。その約束を自分自身に一生涯果たすことを目的とする。
10代の頃から暴力行為を続けてきた私は、私が幸せになることなど許されないと心のどこかでずっと思い続けていました。プログラムでの学びと共に螺旋階段を歩み進む。そして、私の心の牢獄から出るための心の扉を日々開く。私は私が選んだ暴力行為と向き合い、良い人間関係を通して幸せになる。
ーパートナーとの出会いからDVの始まりー
私とパートナーは以前同じ職場で働く同僚でした。休日にも会うようになり、散歩をしながら何気ない話しを何時間もしていました。その職場で出会ってから、一年後にお付き合いを始めました。
お付き合いを始めて3ヶ月後、既に私からパートナーへの精神的暴力は始まっていました。パートナーの何気ない返答を「もっと優しく話せないのか。」と非難する。パートナーが好きな食品を選んだり、行きたいレストランの話しをすることを「わがままだ。」と侮辱する。会話の途中で「私の話しをしっかりと聞いていない。」と言って不機嫌になる。「いつか私と別れるのだろう。」と繰り返すようにしつこく伝える。私の頭の中をパートナーへの不満と不安の考えが巡り、態度と言葉の暴力でパートナーにぶつけていました。
ーエスカレートしていくDVー
そして、私は日常生活でパートナーを冷たい目つきで睨む。パートナーに聞こえるようにため息を繰り返し吐く。家事のやり方を命令する。パートナーが食事を残すことを責める。パートナーのご家族やご友人の悪口を何度も言う。パートナーの電話相手をしつこく聞き束縛する。パートナーの不安を煽るように別の女性と連絡を取る。私の身体の調子が悪いことを何度も話す。パートナーが私の思い通りになるように、精神的DV、コントロールをエスカレートしていきました。
私はパートナーの職場での言動もコントロールしていきました。パートナーが職場で上司に発言することを「女のくせに態度がでかい。」、「空気を読めない。」と責める。そして、職場で同僚が見ていないときにパートナーを睨む。同僚がパートナーのことを嫌っていると嘘を告げる。パートナーに自己嫌悪感、罪悪感を与え、パートナーの安全と感じることのできる場所を奪い狭めていきました。
ーDVのサイクルと身体的暴力ー
お付き合いして半年ほどたった頃、パートナーが「今日は私は早めに寝るから、静かにしてくれる。」と言いました。私は「こいつ(その頃は頭の中でパートナーを「こいつ」というような蔑視的三人称で思ったりしていました)は自分をいつか見捨てるな、このままではまずい。」というように考え、「お前は自分の都合の良いことしか考ることができないのか?!なんて自己中心的人間なんだ!」とパートナーを侮辱して、パートナーが謝るまで(謝る必要などないのに)説教を夜から朝まで続けました。そして、パートナーが私の説教から逃げるように別の部屋へ立ち去ったところを追いかけて首をしめるという身体的暴力もしました。私がパートナーの首をしめているとき、パートナーが怖れのあまりに身体を凍らせるように硬直させて、目が点になって脅えていたことを憶えています。
私の身体的暴力が始まった頃から、パートナーは「お願いだから、誰かプロのカウンセリングに相談してほしい。」、「暴力は何があってもふるってはいけない。」と何度も何度も私に話しかけました。しかし、私はその声に耳を傾けませんでした。身体的暴力については謝りながら、パートナーにも悪いところがあると責めて、心の中ではパートナーも悪いと思い込み続けていました。さらに私の生い立ちで父が母に暴力を振るったことを泣いて話し、パートナーの同情を誘うような謝り方を繰り返していました。暴力を繰り返す自分自身に対して「自分は腐った人間なんだ。」、「もう終わってんな。」、「クソみたいな人生だ。」と感傷に浸り落ち込み続けたりもしました。「なんでパートナーは自分を苦しめるんだ。」とパートナーの前で髪をむしりとるような行動をしたり、壁に頭突きをするなどして脅したりもしました。
私のパートナーへの精神的暴力は日常的に続きました。身体的暴力はさまざまなかたちで1、2ヶ月周期で繰り返されました。私は自己嫌悪になり「自分は人と付き合うのに不向きな人間なんだ。」、「独りで生きていくべきなんだ。」とか、「どこか遠くでひっそり暮らしたらいい。」とか、「別れて別の人をみつけたほうがいい。」と投げやりに思ったりもしていました。
ーDVへの否認と戸惑いー
お付き合いから2年5ヶ月たった頃、パートナーの頬を叩き、「女は男の言うことを聞いて当然なんだよ!」と怒鳴ることがありました。パートナーは一度避難するように、荷物をまとめて手紙をおいて家を出て行きました。そのときの手紙を今読み返すとパートナーがどれだけ苦しみ傷ついて、心から助けを求めていたのかを感じます。
それでも私はその頃もまだ自分は悪くないと否定を続けていました。それまでも周期的に暴力を振るい続けている自分自身に対して「このままでは自分はまずいのではないか?」という戸惑いもありました。
DVについてインターネットで調べたりもしましたが、自分でも具体的にどうしたらいいのか分かりませんでした。
カウンセリングを受けるということに強い偏見もありました。「私は狂ってなどいない。」「狂っているのはパートナーの方だ。」「パートナーが感情的になりすぎる。」と思い込むことで片付けて、自分自身の問題に見てみぬふりを繰り返していました。
ー祖母の死と更生プログラムへの参加ー
私はパートナーに暴力を振るっていることを誰に話すこともなくずっと隠し続けていました。
その私が更生プログラムへの参加に至ったのは、パートナーとお付き合いしてから2年10ヶ月たった頃でした。きっかけとなった出来事は私の父方の祖母が亡くなったときのことです。祖母の葬儀のあと、東京に住む私の母を訪れました。父と母は20年前に離婚して、母は祖母の葬儀には出席しませんでした。「おばあちゃんは幸せな人生だったと思う。」と私が母に話したとき、母は「おばあちゃんはおじいちゃんの暴力で苦しんだんだよ、それをあなたのお父さんは私に暴力を振るうたびに話して泣いて謝っては暴力を繰り返した。」と言いました。そのときに、「あ!私は、父が母に暴力をふるい泣いて謝り暴力を繰り返したという同じことをパートナーにしている、このままではほんとにまずい。」と思い、私がパートナーに暴力を振るってしまっていることを母に泣きながら打ち明けました。すると母は、「泣いても変われないよ、お父さんも何度も泣いて謝って、暴力を繰り返したよ。」と言って、母が以前「たんとすまいる」の被害回復グループに参加していたこともあり、主宰者の方を紹介してもらいました。そして、加害更生プログラムに個別面談にて通い始めました。
母が被害回復グループに通っていた頃、母から「お母さんはDVからの回復のグループに通っているんだよ。」ということを何度か話してくれたのを憶えています。その話しを母がするたびに私は「DVのことは一切口にしないで。」と母を怒鳴りつけたりしていました。その同時期にお付き合いして同居をしていた過去の別のパートナーにも私は暴力を繰り返していました。
ープログラム参加者への偏見ー
私はたんとすまいるに通い始めた2018年7月から、1年9ヶ月の間、グループに参加することなく、主宰者と一対一の対面形式で通い続けていました。その個別面談のみで通った理由は、「海外在住で東京に住んでいないからグループ参加ができない。」というのは自分自身への言い訳に過ぎません。事実、一時帰国した際に主宰者の方と東京にて対面で面談したときに、「グループにも良かったら参加してみてください。」と声をかけていただきました。しかし、私は「グループに参加するDV加害をする人たちと自分は違う。」と思っていました。グループに参加している人たちへの私の抱いていたイメージは、会ったこともないのに、ものすごく悪く歪んでいました。「グループの人たちは集まって何を話しているんだろう、どんな顔をしてそこに集まってんだ?きっと暗く惨めでうつむいて何も話さない人たちがどんよりと集まる会をやっているんだろう。」と強い偏見を持っていました。
ーDVの問題と向き合っている仲間ー
グループの形式がCOVID-19により対面からオンラインに変更されたこともあり、2020年5月にはじめてグループにオンラインにて参加しました。その当初もグループの人たちを極悪人の集まりのように見ていました。「自分はこの人たちみたいには酷くない。」と、グループの人を見下していました。そして、「この人たちはいきなり狂ったようにキレる人たちなんだな。」と怖れていたし、「どんなひどいことをしてきた人たちなんだ。」と偏見の目でみていました。グループに参加の日は毎回緊張していました。「自分は何を言おうか、何か言われるのではないか。」とものすごく構えました。声は震えていたし、グループで怖そうな年配の方の顔色や機嫌をキョロキョロ伺いながら参加していました。対話はヒヤヒヤ、ビクビクで、無言の時間は長く冷や汗でした。グループに参加することを自分への罰みたいにも思っていました。グループに参加して一年くらいはたびたび罰だと思っていました。グループ参加当初は、グループの方々への不信感、嫌悪感もありました。しかし、思考や行動のパターンが似ていることで、「あぁ、この人たちと私は同じようなことをしているんだ。それを言語化して、向き合っているんだ。」という親近感。私が発言すると一生懸命話しを聞いてくれる人たちがいることの安堵や安心感。グループ参加の長い人たちの学びの深さや、考え方の視点などに良い刺激をいただきました。今思うと、グループ参加はDVの問題と向き合っている仲間との出会いだと思っています。
ープログラムでの学びと自分自身の変化ー
プログラムで学んだことはたくさんあります。グループでの対話だけでなく、職場で上司と争わずに発言できるようになったこと。自分の考えてることを言語化、可視化できるようになったこと。生活の中で幸せを実感することができるようになっていること。
プログラムに通い自分自身の変化がある一方で、変わりづらい思考癖、自分と向き合い続けないと自分の軸がぶれることも正直あります。女性蔑視や女性の身体をモノのように思うこと。自分自身や他人への「こうあるべき」という考えは根深い。
誰かにいつも自分を思っていてほしい。自分が中心的存在でいたい。他人への見下し、その裏腹にある自己嫌悪感。自分の弱さと向き合うことができずに、他人や社会のせいにする。そんな自分の思考癖に流されない違う根深さを自分自身の中に養って変わっていこうと日々思っています。
プログラムに参加して4年1ヶ月。自分ひとりではここまで変わっていこうと思えなかったのも事実で、グループの仲間を本当に仲間だと思っています。そのグループの人たちと月3回でも定期的に会う場所があることに安心も感じています。根深い自分の思考癖やパートナーへの暴力だけでなく、さまざまな人間関係についての悩みを本気で聞いて、指摘をしてくれます。参加者ひとり、ひとりが過去のできごと、現在の悩みと向き合っています。そして、その仲間とお互いに向き合える時間があることは、ありがたいことなんだと今は思い、心から感謝しています。
ー淋しさと心の整理、安全な場所ー
私がグループの人たちを仲間だと思い、心を開いていくことができるようになったのは、グループで年に2、3回行われる、AH(アチチューディナル・ヒーリング)のセッションがきっかけかと思います。私は2021年春のAHのセッションで、私が中学3年生のときに東京で一人暮らしをしていたこと、自分の淋しさについて吐き出すように嗚咽とともに話しました。それをグループの人たちに聞いていただいた実感があって、その日はグループが終わったあとも、何時間か泣き続けました。その頃から、自分の淋しさとの向き合い方が変わっていっているとも感じています。
プログラムに通い出した頃から私は主宰者との面談にて、淋しいを口癖のように話していました。けれども、その淋しさとどう向き合ったらいいのか、今ほんとうに淋しいのかそれとも過去の経験での淋しさの感情が整理できないから、今淋しいと混乱してしまうのか、ずっとよく分からないままでした。
淋しいと感じているのか、淋しいと思いたいだけないのかを見詰めていきました。自分の思考癖として、淋しいと思うことと同時に自分はかわいそうと思う癖が強くありました。
何で自分をかわいそうな自分と思うのか、なぜかわいそうな自分を手放さないのか、自分の声に耳を傾けました。自分の生い立ちでの経験を時間をかけて書き出しました。私は自分の淋しさを誰かになだめて、慰めてもらおうとずっと待ち続けていたことに気づかされました。
かわいそうと思う自分の経験を言語化して可視化することで客観化する。そしてかわいそうな自分を手放していく。今は自分自身に自分で「そばにいるよ。大丈夫。」と話しかけてあげて安心することができるようになってきています。
そして、仲間のことを思いつながりを感じて「みんなもそばにいる。」と思えることもあります。
その仲間はきっと私にこう話しかける「どんな経験、生い立ちだったとしても暴力が正当化されることはありません。」はっきりと私の目を見て信頼して話しかけてくれると感じています。
ー幸せでいる責任ー
私が自分自身の取り組みとして重要だと思っていること、実践していることは他人を使わずに、自分自身の責任で幸せでいること。社会とつながり幸せになることです。
加害を続けてきた私には幸せになることなど許されないと心のどこかで思い続けていました。
プログラムに参加して一年半経った頃、自分の加害行為、現在のパートナーへの暴力を、紙に書き出したときは自分の顔を鏡でみることができなかったです。自分で自分を呪うように鏡の中をみていました。その私が今は幸せになりたいと思っているのは、暴力は相手への暴力でもあり、自分自身への暴力でもある。相手も自分も不幸せに落とし込むことだと思うから、自分自身が心底幸せになろうとしている人は暴力なんて選ばないと思うからです。
ー母への謝罪ー
私は10代前半の頃、母へ身体的暴力、精神的暴力を続けていた時期がありました。プログラムの学びを通して、私から母への謝罪を聞いてもらいました。母は「許している。」と言ってくれました。母との関係は自分で向き合い続けていく課題の一つとなっています。私は母親に暴力をふるった私が幸せになることを自分自身に許すことがずっとできなかったです。「私は一生苦しむべきだ。」、「私は幸せに生きてはいけない。」とどこかでつよく思っていました。「その私の苦しみをパートナーにも分からせよう」と暴力を選んだことにもつながっていたと思います。私がプログラムでの学びを今も続けていくことで、母との関係も一歩一歩、良くなっています。
ー父との対話ー
プログラムに通って一年4ヶ月経った頃、私は父と対面して私が生い立ちでみたり経験した父の暴力は間違った行動であったということを父を責めるというかたちではなく話すことができました。それまでは口にしないまま、父のことをずっと許せなかった自分がいました。父への怒りの感情を隠し、押し潰し続けていました。父との関係が変わっていったのは、父に直接に私が思ってることを話せるようになったこと、父の話しを怖れずに聞けるようにもなったこと、そのように対話ができるようになったのはグループで父と同世代の人と一緒に学べた機会が背景にあります。私の中で隠し押し潰してきた怒りの感情を再認識して整理することで心もだいぶ穏やかになり、父との関係も一歩一歩、よくなっています。
ーパートナーへの心からの感謝と今ー
私からパートナーへの謝罪を2021年の夏に聞いていただきました。その後、お互いに話し合い、良い関係へと進むため別居することになりました。現在別居の中、テレビ電話で笑顔で楽しく会話ができるようになっています。別居してからもパートナーに日々思うことは、ありがとうという心からの感謝です。パートナーの心からの声がなかったら、私は自分自身と向き合わないままだったかもしれないです。パートナーは「暴力と愛は決して共存しない。」と何度も私に言ってくれました。プログラムに通う私に「あなたが変わることは、たくさんの人が変わる可能性を与える、変わる可能性を開くチャンスになる。」と言ってくれました。2022年の新年にChange Starts With Youと笑顔の刺繍がされているTシャツを贈ってくれました。春にはFuture Looks Bright と書かれたTシャツを贈ってくれました。
プログラムに通ってから4年1ヶ月、私が暴力を手放し人間として変わったかどうかは、生涯を通して変わった自分であり続けることで変わったと言えるのだと思います。誰に何と言われても自分自身が変わる。善い人間として変わり続ける。Change Starts With Youと自分自身の心に話しかける。
ー明るい未来への扉を日々開けるー
私は良い人間関係を育み、築いていこうと心から思っています。過去は変えられない、そしてしっかり憶えておくことを決める。
人間関係を通して幸せを感じる。どんな困難な道も幸せをみつけて歩めると思います。
幸せへのステップを一歩一歩、歩んでいきたいと思います。
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