もう、後戻りはできない
2024/07/23
僕は夫婦喧嘩をたかもしれないが、一方的に妻に暴力を振るったつもりはないし、妻は他の家庭と比べると気が強く、忍耐力もなく、わがままな人だと思っていました。  そのような妻に対して、僕だから何とか一緒にやれているし、誰よりも妻のことは知っていると信じていました。僕は彼女自身よりも彼女のことを知っていると思っていました。

パートナーと息子との再会
2024/07/22
2024年4月4日から、パートナーと息子と別居。 6/29(土)に3ヶ月ぶりに会えることになった。 1週間ほど前に、パートナーの弁護士を通じて居住地を告げられる。ここ3年ほど夏休みに家族3人で旅行に行って過ごし、家族での移住を検討していた島だった。

やめるということ
2024/07/18
こうした「やらかし」は社会人になっても変わらなかった。酔っぱらって乗った電車では、大学時代同様に眠りこけ、当時住んでいた社員寮のあった大宮を大きく飛ばし、宇都宮の手前で深夜1時に途方に暮れたことがあった。そんなことを繰り返していると、だんだんと漫画喫茶や24時間営業のマクドナルドを探すのも面倒くさくなり、最終的には駅前のベンチで野宿したこともあった。

憂鬱な週末
2024/07/18
これは全て今まで自分がパートナーに長年行ってきたあらゆる暴力の結果なのだろうが、長時間にわたるパートナーの攻撃的な言動にとても耐えられなくなる。

今後の課題
2024/07/06
以前子供から「パパはなんで火曜の夜帰ってこないの?」と聞かれたことがあり、「ママと子供君とずっと仲良しでいたいから、勉強してて帰るのが遅いんだよ」と答えましたが、今考えるとどこか加害者意識が無く、家族のため勉強してる自分はえらいんだという考えも伴っているように感じてしまいました。

この一年を振り返って
2024/07/02
パートナーさんとの別居生活が始まりました。私はしばらく茫然自失の状態におり、自分の置かれていり状況が飲み込めないでいましたが、徐々に認識できてきたのは、パートナーさんが非常に深く傷ついていること、その深い傷つきは別居前の数ヶ月の期間に起こった出来事だけに起因するのではなく、ずっと以前の過去にまで遡っていたということでした。私のDV的な言動をパートナーさんが我慢する、そのようなことが繰り返され、積もり積もったことの当然の帰結としての別居であったことがわかってきたのです。

「かも」の大切さ
2024/07/02
関係性は、相手がいることです。相手の気持ち、心の回復、状況、希望などは、私にはどうすることもできません。こういう「課題の分離」が分かっただけでも進歩です。同時に、「どうすることもできない」は、相手や状況を突き放すことではありません。どんな形であれ、少しでも成長し、阿弥陀如来のお迎えがあるまでは、家族を支え、助け、人の役に立てるよう強く生きていきたいと思います。

家庭内のルールについて
2024/06/24
先日、グループ内で家庭内のルールをどの程度まで決めておくべきかということが話題になりました。 ルールといっても、大小さまざまあるとは思います。しかしこうした決まりごとについて、たんとに参加する前の自分はものすごく神経質だったなと、あらためて当時を振り返りました。

趣味の実践
2024/06/21
パートナーさん、子ども達と別居を始めてから気づいたこと、それは自分には一人で楽しめる欲求充足が映画を見ると言うことくらいで他には何も無いと言う事。 それは未だにまだ発見出来ていない、模索する日々です。

愛を選ぶ
2024/06/19
私のDV・モラハラ・虐待が原因で、パートナさんと子供三人は3/11に私を離れて、別居状態になりました。その日から振り返って反省しはじめ、後悔しはじめ、自分はパートナさんと子供たちにどれほどひどいことをしたかはやっと少しずつ分かるようになって、その歪んでいる自分をよりよく変えるために、パートナさんと子供たちの関係をより良くするために、3月末にたんとすまいるのDV加害更生プログラムに参加しました。

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