怒りを手放す

加害更生プログラムではDVのきっかけとなる"怒り"について、

コントロールするすべや原因となる思考と価値観などを教材や課題、

グループ参加者の振り返りなどで学んでいます。

 

 例えば、パートナーと会話をしているとき自分がイライラしてきたという

心や体の兆候を感じたならば、少し距離(物理的に離れたり時間をおく)をとること。

できることならその場で自分視点で解釈した相手の言動を客観的に見て

正しく理解する努力をするなどして怒りを回避する方法を学びます。

 

そうすることで怒りをあらわにして大声を出したりテーブルを叩いて

相手を威嚇し怖がらせる行為を未然に止めるのです。

これはこれまで私たちの加害行為によって苦しんできたパートナーを

これ以上傷つけることのないように私たちができる最低限の行動なのですが、

私自身を振り返るとさらに自分には課題があると思いました。

 

 これまで長い間、私のDVにより苦しみ傷ついてきた私のパートナーは

"イライラしてきた私"の様子を感じとっただけで、

怒鳴られるのではないか、物を壊されるのではないかという恐怖がよみがえり、

動悸がして苦しむことになるのではないかということを思ったのです。

そこで、そもそもパートナーとの会話で自分がイライラするのは何故なのか?

ということに焦点をあてて考えました。

 

私はこれまでのプログラムで"怒り"につながる感情として

悲しさや怖さ、辛さや孤立、痛みなどの様々なものがあるということを学んできました。

そう考えてみると私がパートナーと会話してイライラしてくるときには決まって

「なぜ僕の言うことを受け入れてくれないんだ!」

という思考になっていたことに気づきました。

 

この思考(気持ち)は私が幼少期に父や母に抱いていたもので、

受け入れてもらえない悲しさや悔しさだったのだと思いあたりました。

私はその気持ちを今も胸の奥に抱き続けて親密な関係にあるパートナーと接したときに

甘えの気持ちとともに"怒り"へと変化してイライラするという態度となってあらわれていました。

私は自身の親子関係をパートナーとの間で再現し、

幼稚で自己中心的な対応をしていたのだと思いました。

 

この気づきをもとにこれまでのパートナーとの会話を振り返ると

私がイライラすることが的確であった場面などほとんど無かったことがわかります。

私がこれまで自分の思い込みやマイナスの感情、幼少期における両親との関係性を

スルーしてきた結果、パートナーと子どもたちに理不尽なDVを続けてきてしまったのです。

 

 

怒りをコントロールすることは最低限当然のこととして、

その原因や思い込みをひとつひとつ明らかにして怒りを手放していくことが

更生への道筋だと思っています。