DVを更生するということは相手に対する気遣いや気配りができるようになること。
私はこのように考えてプログラムの教材や課題に取り組んできました。
そのためには、相手が私の言動を見たときにどのように感じて何を思うのかを
想像することが大切だと思っています。
しかし、これまで私がプログラムに参加してきて感じたことは、
相手の気持ちを想像することの難しさに他なりませんでした。
先日、このことに関してグループワークでアドバイスをいただいたことが
大きな気づきに繋がりました。
それは気遣いや気配りをするために大切なことは、
心から沸き起こる優しさを持てることではないか、という趣旨のお話でした。
この言葉を聞いてから、私はこれまでの自分の思考を辿ってみました。
そうすると自分は根本的なところで相手のことを思いやれていない(思う気持ちが希薄)ということに気づくことができました。
例えば、走ってくる子どもが転んだのを見たとき痛そうだと思うことはできても、
その子が転んだときに感じるであろう怖さや動揺には思いか至らない。
だから転んだ子にかける言葉も主にケガの度合いや痛みに関することで
「痛かったね」とか「血が出てないから大丈夫だよ」というばかりであり、
「怖かったね」「ビックリしたね」というような気持ちに共感することができていませんでした。
これまでのこの様な思考と対応を思い出したことで、
私は他人に対して心から沸き起こる優しさという感覚が乏しかったということに気づいたのです。
怒鳴らない、嫌みを言わない、黙りこんで圧力をかける、情けない態度をとって
相手に罪悪感を抱かせるなどの自分の言動すべてが優しさの欠落からでるものだと思いました。
なぜそうなのかと考えてみると
その根源には自分が持っていると信じている根拠のない優位性(特権)がありました。
家庭内においての物事の決定権が自分にあると信じていることなどが、
相手を軽んじる言動となっていたのだと思いました。
どうして自分は優位にある(特権がある)と信じているのか、
それをひとつひとつ明らかにして歪んだ思考と価値観を修正することが小手先の態度だけではなく、本当の意味で気遣いや気配りができる人になれるのだと思いました。
パートナーが部屋掃除や料理をしてくれているのを見て、
「大変そうだな。いつもありがとう」だけではなく、
どんな気持ちで家事をしているのかを感じ取れる人になりたいと思います。
この気づきのきっかけとなった一言を伝えてくれた仲間たちに感謝しています。