物から読み解く

私は、グループのメンバーの発言をヒントに、

何気ない物の存在に感謝するため、身のまわりにあるものをよく観察してみた。

 

まずは椅子、次に靴下、文房具、釣竿、インスタントコーヒー、といった具合である。自然界以外の、全ての製品は、人間の欲求を満たすために存在している。そして、その理由なりの形とはたらきになっている。言い換えれば、全ての製品の形状は、心を物理的に見ることができる唯一の方法と言えるのではないか。そう考えると、まさに多種多様な心が私の半径5メートルだけでも膨大に存在していて、気が遠くなる思いをした。それら全ての製品は、消ゴムひとつ例にとっても、その材質と形状で文字を消すという理由によって世に存在しているのだ。

 

しかし、本来の理由を持ちながらも、敢えて非効率な機能やデザインをしていたり、全く関連のない色づかいであったり、極端には、本来の目的を果たすことを主眼としないようなものさえある。これは、人間でいうところの権利、個性、多様性などに通じるのではないか。

 そうして、それぞれの物を心の形として観察すると、その存在への親しみと感謝が増した。それと同時に、あることに気づき愕然としたのである。それは、この世には個性や多様性というものがとても大切であるということを、私はとうの昔から、労をせず既に知っていたのだ。更には、その機能と個性が合わされることで魅力と価値が見い出されることも、場合によっては、機能を度外視するような個性でさえも認めることができていた。

 

 私に著しく欠落していると思っていた概念が、既に備わっていたのだ。今までそのことを意識したことがなかっただけだ。製品ですら個性や多様性に満ちて世に存在しているということは、それを生み出した人間は、それ以上に個性や多様性を持っていることは然るべきことで、更には個性や多様性こそが人間が人間であることを証明し、また生きる場所や存在意義を生む上で必要なことであると思った。

 

 では、なぜ私は、家族の個性や権利をあまり理解しようとせず、自分の意に沿わないと抑圧してきたのか。その原因と理由は多くあろうが、決定的なひとつのことが解った。

 それは、全てのことに対して、観察を疎かにしていたのだ。その観察の怠りと比例するように想像力も大きく欠如していった。私は、妻や子どもを、ひいては全ての他者と、私自身すらも観察することを怠っいた。そして徐々に、他者の心を慮ることも、そのことを思考することさえも面倒臭くなっていった。とうとう最終的には、私は家族を人間としてではなく、所有する道具として扱ったのだ。

妻や子どもを、動きが悪くなると叩いてショックを与えて酷使させる電化製品のように扱った。壊れるような原因は叩いた私の方にあるのに、製品の性能が悪いから故障するのだという了見で接していた。

 

 家族にとっては、特に妻は、人生において自分の心の形を具現化することも、個性も、多様性も、権利すらも、私の前ではあったものではなく、私の意のままに動かないといつ暴力を受けるかと、怯え続けた毎日であったはずだ。妻は、弱者に優しく寄り添うことができる、人としてとても素晴らしい個性を持っていた。そんな彼女は、私に個性や多様性を抑圧されていなければ、どれほど多くの時間、自分の心の形を具現化しながら自分らしく生き生きと過ごせたのであろう。

長女は、次女は、長男は、間に合うであろうか。それぞれが自分のなりたい形になって、自分らしい時間を送ってもらいたい。

 

 私は、どんな形に変わらなければならないか。

どうすれば理想を現実に変えていくような、そんな形になれるか。そして、これからどういう時を過ごしていくべきか。そう思いながらインスタントコーヒーの瓶を見た。底に破損防止のために溝が彫られていた。この溝のことを調べると、破損防止の『ナーリング』という措置で、たったこんな溝を施すだけでガラスの材質を変えずに、容器全体の強度が2倍になるという。

 他の容器を見ると、あらゆる容器の底にナーリングが施されていた。七味唐辛子の小さな容器にすら存在している。日々、身近で見ているような物でも、今まで全く気づかなかった。更にインスタントコーヒーの容器から、心を読み込むための観察を続けた。この容器は、中身のインスタントコーヒーの粉末のために存在している。これは容器としての存在意義であり義務である。

その義務を果たしつつ、ラベルに湯気のたつコーヒーが描かれていたり、それぞれ形状が異なる容器は、個性や多様性として、美味しいコーヒーが飲めることを期待させてくれている。個性や多様性にも立派な存在意義があるということだ。 そして、その容器を破損から守るため、また、それを使う人の安全のために、ナーリングが隠れるように、当たり前に存在している。

 

 私はこのナーリングの溝に、愛情と安心の存在を感じた。

私は、これから自分が立ち止まったとき、逆戻りしそうなときは、身近な物から愛情を読みといていこうと思う。そして、自分がなりたい形になること、そのためにやるべきことを、この溝を触りながら考えた。

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