学びへの姿勢の変化について

自分自身が学びの中で気を付けていることの一つに「手段の目的化」をしないことがあります。

私の目的は、もちろん「自分自身を変える事・加害行為を選ばない自分になる事」で、プログラムでの学びはあくまでその手段の一つです。

 

ですが気を付けていないと、いつの間にか「学ぶ事」が目的になってしまうことがあります。

プログラムで学ぶことは私自身にとっても新鮮なことであり、グループディスカッションや日々の気づきの中で新しいことを知る機会がたくさんあります。

それ自体はとてもプラスなことだと思いますが、新しく知ったことを間違った手段で使ってしまうことがあります。

例えば、日々の生活の中で友人がした発言について「(私が学んだことによると)その発言は間違ってると思うよ」などと言ってしまうことです。

正しい、間違っているの話になってしまった時点で、私は「自分が正しい、相手が間違ってる」という考えを持っていることになりますし、それでは自分自身はまったく変わっていません。

「変わること」が目的であれば、例えば友人に共感するような「(そんな発言をするということは)何か困ってることがある?」というような声掛けになると思います。

 

たんとすまいるの学びのプロセスを表す言葉に、「知る・分かる・できる・分かち合う・にじみ出る」というものがあります。

学びの目的化をしてしまうと、「知る」プロセスだけで終わってしまい、その先がありません。

学ぶ事が目的になった瞬間、その使い方までは考えていないので、まさに「知っただけで中身は何も変わっていない」という事になりかねないのです。

 

たんとすまいるに通い始めた当初は、自分自身がとても不安定でしたし、知ったところで変わるのは簡単ではないと思っていました。

プログラムでの学びを続ける中で自分自身と向き合ってきたことはもちろんですが、途中で、「変わるのは簡単ではない」という言葉は自分自身への言い訳であることに気が付きましたし、そう思っているうちは絶対に変われないという事にも気が付きました。

無意識に「学ぶ事」だけが目的になって、「変わるために学ぶ事」が出来ていなかったのだと思います。

ですので、最近は「このようなシチュエーションになった場合には、自分はどんな選択肢があるのだろうか。」「暴力でない選択肢はどれなのだろうか。」「相手を思いやれる選択肢はどれだろうか」といった事を意識してプログラムに参加するようになりました。

それは「どう使えるか」というテクニックの話ではなく、自身が変わって「どうにじみ出るようになるのか」と、自然にその行動がとれるようになりたいとの思いからです。

 

先日、友人や同僚から、「あなたは優しい人だね」と言ってもらうことができました。

まだまだスタート地点ではありますが、少しだけでもにじみ出せるようになっていたら良いなと、その変化をポジティブにとらえたいと思っております。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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