みんなでいい世界にしよう!

たんとすまいるに通って1年。

最近、思うのは、パートナーや子どもたちへの愛が本物なら、その土台に、もっと広い世界への愛があるということです。

 

 1年前までは、自分が「愛」だと思っていたものが、実は自己中心の執着だったことに気づかず、

歪んだ暴力、暴言を正当化していたのです。

「愛」のつもりで身近な人に向ける言動が、私の場合は、エゴに動かされ、自分の正しさと力で相手をコントロールするものになっていました。

 

 エゴではなく、魂に動かされるのが本当の愛なのだと、今なら分かります。

魂とは本来、誰かは愛する、別の誰かは愛さないというものではなく、世界をまるごと愛するものです。それができていれば、1月に埼玉県で、男が母親に執着して、立てこもりの末、医師を散弾銃で撃ち殺した事件などは起こりません。ストーカーも無理心中も、もっといえば戦争も同様。それらはすべて、愛などではなく、エゴにすぎません。

 

 振り返ると、私は、若い頃から、「あなたが私を怒らせた」「あなたが私を傷つけた」「あなたは間違っている」と言いがかりをつけ、いつも周囲の人を批判してきました。自分の感情、エゴを優先させ、世界への愛がない人生を歩んできました。

 

 たんとすまいるに通い、人は他の人の感情を埋め合わせるために生きているのではないことを知りました。それまで、ずっと自分の心の欠落を人のせいにしていたのですから、なんと愚かな人生だったのでしょう。

 

 では、人が他の人を満たすことができないとすると、自分を満たしてくれるのは何なのでしょうか。お金でしょうか、地位や名誉でしょうか、会社での出世でしょうか、偉業の達成でしょうか、趣味でしょうか、お酒でしょうか。

 

 自分を満たすのは究極的には、自分自身の心しかないと思います。そして、この場合の「自分の心」とは、言い換えると、やはり世界とのつながりの感覚なのではないでしょうか。

 

 最近、毎朝、通勤で地下鉄に乗るとき、この電車に乗っているみんなが友達、と思うようにしています。そうすると、不思議とだんだん、みんながつながりのある人に思えてきます。ばかばかしいと思うかもしれませんが、毎日の訓練のつもりでそうすると、知らない人たちも、同じこのすばらしい世界に生きる大事な構成メンバーだということが実感できるようになります。

 

 今は、このつながりの感覚を大事に、他の人に与えられる人間になることを目指しています。そうする中で、パートナーや子どもたち、それ以外のみんなを大切にできる人間になりたいと願っています。                          

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