私は主に、パートナーに対して精神的・性的DV、子供達に対して精神的・肉体的DVをしてきました。素晴らしいパートナーと子供たちに恵まれながらも、それを当然だと思い、何か満たされないという思いや、このままでいいのだろうかという不安を持ち続け、それを家族にぶつけてきました。
そして1年半前に私は、職場で1通の内容証明郵便を受け取りました。差出人は見たこともない法律事務所で、封筒を見た瞬間に嫌な予感がしました。内容は、パートナーが私のDVにより危険を感じているため、今後家には近づかないようにと求めるものでした。そこから突然の別居が始まり、今に至ります。
別居以来パートナーとは直接連絡を取ることを禁止されており、弁護士を通じてやりとりしています。弁護士とのやりとりの中で、DV加害者のグループに参加してみてはどうかと勧められ、自分で調べた結果たんとすまいるにたどり着き、去年の8月から参加しています。
この唐突に始まった別居に、しばらくは怒りや後悔、悲しみに打ちひしがれました。
「あの時は幸せだったのに、何でこうなったんだ。ここまでしなくてもいいだろう」
と、グルグル考え続けていました。自分の状況を、絶望的なピンチだとしか捉えられませんでした。
しかしたんとすまいるでの学びを通じて、私は歪んだフィルターを通して過去と現在の状況を捉えていることに気がつきました。過去を美化し、現在を過剰に悲観していました。現在に関しては、ピンチの側面を過大評価し、チャンスの側面を過小評価していたのです。
例えば「あの時は幸せだったのに」というのも、冷静に考えてみれば全く事実ではありません。不満や不安ばかりで幸せを感じていなかったからこうなったのです。また、こうなったからこそパートナーや子供たちの大切さを認識し、自分の問題に少しずつでも向き合えるようになったわけですから、「絶望」どころか多少なりとも状況は改善しているはずです。
考えてみれば、別居当初から心の片隅には「こうなるべきだったんだ、こうなってよかったんだ」という気持ちもありました。それまでの人生でずっと、「このままではいけない、変わらなければ」という思いを持ちつつ、本当に変わるための努力をしてこなかったという自覚があったからです。
あの「突然の手紙からの別居事件」の強烈なパンチがあり、それに続く辛い時間があって、ようやく私は重い腰をあげることができました。パートナーもあそこまでのショック療法を敢行するには余程の覚悟と勇気が必要だったと思います。これは、自分を変えていい未来へ向かうためにパートナーが与えてくれたチャンスだとも捉えられます。ピンチとするかチャンスとするかは、私の心一つだと思います。
しかし、今を本当のチャンスとするためにふさわしい行動を取れているのかと自問すると、不十分だと言わざるをえません。自分を変えるための努力はそれなりにしているつもりですが、パートナーや子供たちとの関係修復のための努力はほとんどしてこなかったからです。唯一の窓口である弁護士とのやりとりも、極力避けている有様です。その理由は、拒絶されたらいよいよ絶望だという恐怖ゆえに、「できないかもしれないなら最初からやらないでおこう」という白黒思考に陥っているからだと思います。
しかしこれも、未来に対する自分の歪んだ認識であったと気づきました。たんとすまいるの2月の課題で、「自分が期待した形とは違ったとしても、努力は必ず報われる」ということを学んだからです。最悪もう会えなくても、私の変わろうとする努力を通じて家族への謝罪の気持ちと愛が伝われば、それだけでも報われるのかもしれないと思います。
とはいえ自分はまだまだ、いろいろな気持ちの間を右往左往しています。未来を恐れたり過去に縛られたりしっぱなしです。歪んだフィルターを手放せば、もっと今の状況を楽しんで生きていける気がします。そうなれるよう、これからも学びを深めていきたいと思います。
4-11