家族は可哀想な自分を慰る義務があると思い込んでいた

私が加害更生プログラムで学び始める前は、世界は自分の敵だと思っていました。「どうせこいつらは陰では自分のことをバカにしているに違いない」「どうせこいつもいつか裏切る」「どうせあいつは計算があって俺に親切にしているだけに決まっている「どうせ」「どうせ」「どうせ」...。家族に対する暴力とコントロールの根底には、そのような世の中に対する荒涼とした敵対的な捉え方がありました。「家族は”私の”安息の場でなくてはならない」「家族だけは100%自分の味方であらねばならない」「家族は自分の苦しみを全て理解して受け止めてくれなくてはならない」そういった自分の暴力の根底にある価値観を見つめ、それがどこから来ているか検証し、それを手放す方法を学び、それで得た気づきを生活の中で実践し反復し修正する。これは自分ひとりでは決してできなかったと確信しています。

 

私がプログラムに参加して初めて得られた大きなもののひとつは「自分は他人の役に立てる」という感覚です。プログラムの中で自分の言葉が誰かに届きその人の思考を良い方向に変えるきっかけとなる感覚、これはそれまでの人生の中で誇張ではなく一度も経験したことのないものでした。それを初めて感じたのはプログラム参加後3ヶ月あたりのことで、その時の気持ちは今でもよく覚えているし、全てを投げ出したくなった時に気持ちを繋ぎ止めてくれることのひとつであり、同時に家族に対してのみならず攻撃的暴力的な思考で多くの迷惑をかけてきた世の中に借りを返す義務と責任を思い出させてくれる感覚でもあります。

 

前段で書いたように、自分は世界にとって役立たず、迷惑、余剰物でありどんなに頑張っても報われることはない、だから家族はそんな可哀想な自分を慰る義務があると思い込んでいたのです。その考え方の間違いに、プログラムで仲間と共に学んでいく過程で気づくことができました。世界が酷薄なのではなく、酷薄な自分に愛と優しさを送信する機能とそれらを相手から受け取るアンテナが欠けていたのだ、と。家族は私がDVをしていた間ですら優しかったし、世の中は決して敵意と悪意だけでできているのではない、と知ることができました。「仲間」と書きましたが、この言葉すら私は学ぶ前は自分の中で頑なに使うことを拒んでいました。「そんなものは幻だ」と。今はそうは思いません。

                                    1-15