自分が選んだ暴力

パートナーと別居が始まってから、毎日のようにこれまでの自分を振り返っている。

最初の頃は後悔ばかりが押し寄せ、悲しみに暮れ、何も考えられなかった。

 

しかし、多少の冷静さが戻ってくると、そうは言っても相手にだって非がある。あんなことを言われたり、されたりしたら、誰だって傷つくし、怒るはずだ。あの時は我慢できず、ついカッとなってしまった。そんな風に考えてしまうこともあった。

 

たんとで学びをすることで、それは被害者意識によるものであり、そもそも自分をコントロールできないから暴力を振るったわけではなく、自分が選んだことだという事実に気付かされた。

 

 例えば、会社や公共の場ではどんなに怒りを感じてもそれを表に出すことはなかった。冷静でいられた。なぜパートナーにはあれほど怒りをぶつけてしまったのか。しかし、改めて振り返ると、パートナーに暴力を振るったときも、怒りの感情と共に、これくらいなら大怪我はしないだろう、これだけ怒りをあらわにすれば自分の言うことを聞くだろうなど、妙に冷静だったことを思い出した。

 カッとなったわけではなく、相手を支配したいがために、理不尽な言い分を相手に押し付けていた。本当ならば、自分が一生をかけて守り、愛すべき大切な人を、傷つけてしまった。子供たちも巻き込んでしまった。どんなに謝罪しても、誠意を見せたとしても、信頼は取り戻せない。もう元には戻れない。こうなるまで気づけなかった、気づこうとしなかった自分のせいで、多くの人たちを不幸にしてしまった。

 

 私はこれから、これまでの全ての暴力を認め、パートナーのこれからの自立を支援し、寄り添い、パートナーの傷が癒えるよう、一生をかけて償うことしか出来ない。それでも、暴力を繰り返し、どうすればその暴力を手放せるのかがわからないまま、パートナーを傷つけることはもうなくなったと前向きにも考えられている。大切なパートナーのためにも、巻き込んでしまった人たちのためにも、出来ること、すべきことが明確になったことは救いだと思う。

 

 パートナーや子供たちのことを常に考え、暴力的になることをコントロールできていたのであれば、その逆になるよう、自分をコントロールすることも出来るはずである。過去と他人は変えられないけれど、自分は変えられる。家族を遠くから見守ることしか出来ないけれど、思いやりの心を持って、支えていきたい。

 

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