たんとすまいるに参加して、1年4カ月がたちます。家族との別居も同じ期間です。当初は、半年もすれば、自宅に帰れると安易に考えていました。月日は流れ、今は「いつ、帰れるのだろう」「本当に帰れるのだろうか」と焦りが出て、「このままかもしれない」と不安になることもあります。
たんとすまいるで学んだ生き方を自分の中に取り入れていく中で、パートナーとの関係性はよくなっています。一人で暮らすアパートと徒歩10分ほどの自宅と行き来し、週末は、家族と一緒に食事をできる機会も増えてきました。GWに、家族とディズニーランドに行けたのは、別居が始まったころを思えば、奇跡です。15年間もの長い期間、私の精神的暴力を受け続けたパートナー、それを見せられ、自らも傷つけられた子供たちが、私を見放さずにいてくれることに感謝するばかりです。
それでも、不安になるのは、パートナーの心の内が見えないせいもあります。実際、パートナーがふと見せる影のある表情が心に引っ掛かることがあります。長期にわたる暴力で壊れた関係が、そんな簡単に回復するものではないのだとも思います。
家族と過ごす時間が増える中、「もう一緒に暮らしても大丈夫じゃないか(家族にDVをすることはないのではないか)」「いや、まだ自分はダメだ」などと葛藤が続いてます。
学び、気づくことと、変わることの間には、大きな溝があります。「自分は変わった」「学んだ」というのは、私にとって、「慢心」と同義です。もっと言うと、逆説的ですが、「私は変わった」と思っているうちは変わっていないとも言えます。なぜなら、変わることに終わりはないからです。
今、「プリズン・サークル」という本を読んでいます。島根県の先進的な刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われている更生プログラムについて書かれたノンフィクションで、ドキュメンタリー映画が話題になった後で書籍化されました。
この本を読むと、たんとすまいるのプログラムと共通する部分もあって、とても興味深いです。その中で、「学び落とす」(英語でunlearn)という言葉があって、間違って学んだことを捨てる、学び直すということなのですが、それは、回復のスタート地点でしかないと言います。私も、そう思います。
DVのもとにある考えを捨てること、学び直したことは、自分を変える入り口です。「自分は本当に変わったのか?」。その不断の問いかけこそが、自分を変えていくのだと思います。終わりのない旅です。私にとって、自分が変わろうとすることは、家族との駆け引きではなく、家族やそれ以外の人の役に立つ人生を歩むことです。
そう考えると、まだまだです。きっと、一生続きます。でも、それこそが自分にとって、幸せな気がします。「いつ帰れるのか?」 それを決めてくれるのは、神さまです。そう信じて、もっと、もっと、家族を心から愛し、人に与えられる人間になれるよう、前に進みます。
以上
写真は、ディズニーランドのシンデレラ城前で。3つかわいく並ぶカチューシャが、私の愛する3人の娘たちです。
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