相手を信頼するということ

安倍元総理の国葬において菅前首相の言葉は多くのメディアで取り上げられました。

国葬の是非は置いておいて、日本の首相というお立場を経験した2人の関係について敬意を表したいところです。

 

あの言葉と表現には、2人の間には他者が理解しえない信頼関係があったのだなということが伝わる表現でした。

それこそ、夫婦と形容される様な関係で、他者に見えない信頼関係があったと思います。

さまざまな困難を二人三脚で乗り越えた末に構築された関係性は、どちらかが上であるという力の関係では到底成し得なかっただろうと想像できます。

 

自分の夫婦間を振り返ってみてみると、本来は二人三脚で乗り越える人生のさまざまな障害や山において、暴言や暴力行為で相手を支配しようとしたり自分勝手な行動で非協力的であったりと、当然ながら信頼関係の構築がなされない言動ばかりをしてきました。

タントで学ぶ様になってからは少しは自分の言動を振り返ることができる様にはなりましたがまだまだ深い絆、信頼関係の構築までは至っていません。

自己の行為によって傷付いた心身を修復する段階ですが、関係性の回復まで諦めずに継続して学びを続けて行きたいと思います。

 

また、今回の国葬を取り巻く世間のニュース、反応などから暴力の連鎖を非常に感じさせる「暴力の種」が至る所に存在していると、考えながら世間をみていました。

そもそもの安倍元首相が殺害されたところから始まり、反対派と賛成派の互いの意見の主張、国葬当日のノイジーマイノリティによるデモ行為や行動など。

法治国家である日本は、隣国とは異なり表現の自由や信仰の自由は許されています。ただし、それらは表現という言葉の暴力や相手の非尊重を許容されている訳ではないということ。

 

私たちが住む世間では、多くの暴力の種が情報という名の裏に潜んでいます。世の中の大きな動向を変えることはできませんが、少なくとも自分の手の届く範囲だけは、暴力の種ではなく、平等の種や尊敬の種を撒き相手を尊重できる生き方を選びたいと思います。

                                      4-24