あなたの認識そんなに正しいですか?

振り返ってみると、前回ブログを書いたのが2022年4月であることにびっくり( ゚Д゚)。久々のブログになります。 今はパートナーと毎日楽しく過ごせていますが、最近またストーカー殺人とか老人を狙った殺人などが増えていて恐ろしい世の中になっていますね。でも、DVをしてしまった私も1歩間違えれば、1線を超えていたかもしれません。

 

 最近つくづく感じます。自分の認識が正しいと思うことはとても危険であるということを。え?自分の認識が正しくないとしたら、何が正しいの?と思うかもしれません。でも、そもそも自分の認識が正しい/間違っている、相手の認識が正しい/間違っているっていう判断基準は何でしょうか?そしてそもそもその判断基準は絶対的なものでしょうか?

 

以下の絵を見てください。

上の絵の真ん中の〇、右と左の図でどちらが大きいですか?

きっと皆さんは右の真ん中の〇が大きく見えると感じると思います。でも、事実は真ん中の〇は右も左も同じ大きさです。

 これはエビングハウス錯視というものですが、人間の五感覚の認識は正確に観察することはできないことを意味しています。日常生活では意識しないので実感しにくいかもしれませんが、同じようなことは日常生活のいろんなところで起きていると考えられます。

 

別の事例を出します。以下にまた絵を見せます。この絵は何でしょうか?

日本人なら、だれもが「赤いリンゴ」と言いそうですね。でもアメリカ人は「Red Apple」と答えると思います。じゃあ、「赤いリンゴ」と「Red  Apple」どちらが正しいですか?

え?どちらが正しいとか間違っているってあるの?と思うでしょう。

では、なぜ正しいとか間違っているってあるのか?と疑問を抱くのでしょうかね?

 

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なぜ正しいとか間違っているってあるのか?と疑問を抱けるのか?それは、「赤いリンゴ」と「Red Apple」というのは実は同じ意味であるというルールを知っているからではありませんか?そんなルールがあるから、ひとまず日本人とアメリカ人は共通認識を持つことができるとも言えます。逆に仮に「赤いリンゴ」と「Red Apple」というのは実は同じ意味であるというルールがなかったらどうでしょうか?

 

 ある日本人から見たら「なぜこの人は赤いリンゴを「Red Apple」と呼んでいるのだろうか?」と疑問を抱きアメリカ人に質問するかもしれません。でもそう思うならば、まだマシな方です。ここで「こいつ何言っているんだ?これは「赤いリンゴ」に決まっているではないか!?「Red Apple」なんて何を馬鹿なことを言っているのだ」と日本人が思ったとしたら、その日本人は話にならんと無視するか、あるいはそのアメリカ人に「これは「赤いリンゴだ!」」と主張して口論になり喧嘩になるかもしれませんね。

 

以上は極端な例かもしれませんが、同じようなことが日常であふれていると思いませんか?

 

「どうしてあいつはあんなことを言うんだ!?」「彼/彼女の行動・言動は理解できない!?」「あんな言葉がどうしてあの場面で出てくるんだ!?信じられない」そんな思考が働いて、陰口をたたいたり、時には相手に否定的な言葉をぶつけたりしています。これは「自分の見方が正しい!自分の観察は間違っていない!」という立場から出発しているからです。言葉の裏にある真意や背景には全く関心を持たずに表面的な言葉を自分の勝手な解釈をして自分の感情を作ってそれを相手にぶつけている状態とも言えます。

 

この最悪の状態の結果の1つが、DVとして出てきていると言ってもよいのではないでしょうか?DVは自分の考えや価値観が絶対正しいという思い込みや錯覚から、相手にそれを押し付る。そして自分の考えや価値観の思い通りにならなければそれに相手を従わせようとあらゆる手段を使って暴力を行使しています。

 

でも、どうでしょう?エビングハウス錯視の話を踏まえると、人間の五感覚脳の認識では必ずしも正確に観察できませんよね?そんな認識・観察から作られる自分の考えや価値観がどうして正しい・絶対だと言えるでしょうか?そしてそんな自分の考えや価値観を盾に相手に自分正義をふりかざし、陰口をたたいたり、相手を責めて攻撃したりすることをあなたはどう考えますか?

 

自分の行動や言動、考えや価値観、ひいては自分の認識や観察を絶対視せず、疑問を投げることが変化への第1歩としてとても大切なプロセスだと私は考えています。

 

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