たんとすまいるを卒業する日

たんすまいるに参加して、1年が経過しようとしています。毎週休まず、課題も欠かさず提出してきました。この1年で、私の人生は、すこぶる変化し、これまで叶わなかったことが次々に実現しています。本当に驚きです。自分の精神状態を心のスケールで表して数値化したり、心のスケールが小さくなったときに、矢印を自分自身に向けて、自分は何ができるのかと考えたりすることは、以前では考えられないことでした。私は欲求充足できるようになり、人間関係も良好になって、とても充実しています。

 1年前まで私は、DVが治らず、また誰とでも争いが絶えませんでした。いつからでしょうか、人と争い、毎日が苦しく、生きているのがつらい日々でした。そのような中、昨年駆け込むように、たんとすまいるに参加しました。そして今、充実した日々を送ることができて、自分の笑顔も増えたと思います。しかし、まだ私にはゆがんだ思考癖があります。人を見下してみたり、やられたらやり返してやりたいと思ったり、以前受けた嫌がらせを思い出し、相手に同じ気持ちを味合わせたいと思ってしまうこともあります。私は、まだまだ、学びが不足していると思います。いつかゆがんだ思考癖を克服し、心から笑顔が生まれ、人間関係がとても良好になったとき、私は、本当になりたかった自分でなれると思います。そんな自分になれたら、「たんとすまいる卒業」があるのかな、と思うようになりました。

 学校でも卒業はあり、仕事でも引退はあります。始まりがあれば、終わりがある。自分にとって、「たんとすまいる卒業」とは何でしょう。DVを一切やらないことでしょうか。自分の精神状態も環境も完璧に整い、平和であればそれは可能でしょう。しかし、平和な環境が永遠と続くことは、なかなかありません。仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、度重なるトラブル、不慮の事故、大切な人の死。人生には荒波が付きものです。どんな状況でもDVをしない、人権を守れる私でいられるでしょうか。例えば、戦時であったらどうでしょう。自分以外の人が人権侵害をしていて、それでも私は、人権尊重できるでしょうか。法律が届かない環境になっても、私はDVをしない、人権尊重できる、もっとも大事なものは人権尊重である、と言い切れるでしょうか。今の私には、Yesと答える自信はありません。それが私です。人権の蹂躙は、禍根を残します。ある時は政治上の理由で見過ごされて、ある時は力で押し切られても、後の世にて、必ずその過ちを指摘され、その禍根を克服することは極めて困難です。それは歴史が証明するところです。

 

 「いつ、どのような環境におかれても、DVをしない、人権を尊重する行動ができるか」という問いに、迷わず「Yes」と答えられる日、その日が私がたんとすまいるを卒業する日かもしれません。そして、それは新たな自分が生まれる日かもしれません。

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