プログラムに参加して二年目の節目となりましたので、この一年で感じたこと、今感じていること、今後についての想いを記します。
プログラムに参加している目的の一つとして、パートナーと関係性を改善したい、別居および離婚しているが子どもに会いたい、子どものことは大切に思いたい。という人は多いのではないでしょうか。私もその一人です。
かつて私は「家族の間違いや非常識を正しい価値観を持つ自分が主張するのは間違っていない。自分は否定されるべきではない」と考えており、そのためには家族に対して身体的、暴言、脅しなどの精神的な暴力もいといませんでした。
その都度パートナーは何度も冷静に話し合いをしようと歩み寄ってきてくれましたが、パートナーは自分の非を認めないと思い込んでいた私には、パートナーと子ども達に対して憎しみと怒りしかなく、それに伴い暴力の頻度は増していきました。
そしてついにパートナーからあなたのDVには耐えられないと別居を言い渡されて、何もかもがどうでもよくなって家を出ていく準備をしている際に、子どもから「行かないで!」と言われました。
私は子どもにも虐待行為をしていたので、子ども達も普段から私の顔色をうかがうような素振りがありました。だから当然私がいなくなってほしいだろうと思っていました。
ようやくそこで今までの自分の言動に疑問を持ち、何とかしなくてはと加害更生プログラムに参加することにしました。パートナーからはDV加害更生プログラムという情報を教えてもらいましたが、参加するきっかけを作ってくれたのは子どもなので、あの取り返しがつかない状況から家族に助けられたと今では感じています。
これまで学んだことで自分の行為がいかにDV行為であるか、どれほど自分の価値観と思い込みを相手に強要していたかを自覚し、家族に対して一生残る心の傷を償おうと学びを続けています。
現在はというと、子ども達は私に会いたいと連絡してくれることもあったり、実際に子ども達だけで会いに来ることもあるので、比較的子ども達の意見を尊重して交流させてくれるパートナーと、自分達を虐待していた私を父親として接してくれることには感謝に耐えなく、加害更生への励みになります。
しかし学びを積み重ねていく内に、最初はささいな心のしこりが次第に大きくなり、明確な不安になりつつありました。
冒頭でプログラムに参加している目的の一つとして、パートナーと関係性を改善したい、別居および離婚しているが子どもに会いたい、子どものことは大切に思いたい。と記しましたが、本当に私はそう思っているのだろうか?と自分自身に疑問を持ち始めたのです。
自分の加害性を自覚してからは、家族が安心して生活できるように自分を変えようとする意識や、パートナーと子ども達を一人の人間として尊重し大切に思う意識は確かにありますが、あれほど怒りや憎しみを抱いていたのに、そんな簡単に自分の価値観を切り替えられているのか? ただ別居状態を解消したいだけでプログラムに参加していて、仮に解消したとしても加害行為を繰り返してしまうのではないか? 子ども達を自分のトロフィーのように考えて、手放したくないから優しく接しているだけではないか? 完全に家族と交流がなくなれば、更生しようと行動しなくなるのではないか?という思いがよぎりました。
家族のために更生するという目的は間違いではありません。ただ目的のために家族を手段として捉えている限りは、私はまだ家族に依存しているということです。
私達の学びの指針の一つに「過去そして将来にわたって自分の言動に進んで責任をもつこと」という項目があります。過去自分が行った行為を自覚し、今そして未来に向けてどのように自分を変えていくのか? 自ら責任をもって行動するということは、自立するということだと考えます。
確かに生活面では仕事、家事を全て自分でしなければならないので、その点では自立しているのでしょう。しかし心理面では更生するための手段は家族であると考えていては自立しているとは言えず、今回のように揺らいでしまいます。
そのためもう一度初心に帰って、何のために更生したいのかを考えました。
家族のために更生したいという目的はもちろんですが、根本的に私を含め多くのプログラム参加者は、加害行為を手放し、誰に対しても公平な対応を選ぶことを目的としているのです。
誰に対しても公平であるならば、当然家族にも公平な対応を選びます。自分にとって家族をどのように捉えるかではなく、不確定な未来を想像するよりも今自分は何をするのが最善かを選択し続けることが本当の更生への過程ではないでしょうか。
私は家族というものに執着しすぎて一番大切な目的である「誰に対しても公平な対応を選ぶこと」を失念しかけていましたが、日々の学びからより良い更生へのヒントを得ました。
何のために更生したいのか、何を目指すのか、たとえ家族との関係が今と変わらなくても、終わることのない自身の問題にこれからも向き合わなくてはならないのです。
3-3