1年間の変化

前回のブログから1年がたち自分の変化があったかを振り返ってみた.

大きな変化は  『8月の課題の戦争』

 

今まで、見ると苦しくて避けて通ってきた戦争系の話を映画で毎日よく見た。この頃は、自暴自棄になっていたが、生きていること自体が感謝に溢れることで、先人のおかげでこんな恵まれた環境で生きていられることに感謝と責任をもちしっかりと生きることを決めた。

同時に命も有限であることを再認識し、やりたいことはやっておこうと思いなおした。責任をもちやりたいことを自分の責任においてやりたい放題をやると決めた。

 

その結果、まだできる範囲は限られてはいるものの、好きなときに好きな場所にいくことにした。電車が好きだったことを思い出して、特急やローカル線にのりながら好きなときに好きなところにいってみた。

ある時、幼少期にはるか遠いと思っていた終着駅が、あっという間についてびっくりした。

 

・「はるか遠いところへ勇気を出していく」という自分で思っていた感覚なんて相当昔のものであり、

・「あっという間について拍子抜けした」という実際体験してみた感覚 

は全然違う、感覚なんていくらでも変わるということ。

 

せっかくなのでなぜか違いを考えてみたら、特急が速く便利なった、大人になり時間感覚が早い、スマホがあればいくらでもやることがあり電車で退屈しない、グリーン車など良い席にすわれば景色も良く、移動時間も窮屈で退屈なものではなく楽しい時間になる、計画を立てずに思いつきで行っても宿も行き先も全部スマホでわかる、昔と違ってお金もある、などがあった。

 

自分の感覚や価値観は幼少期や現在とは違う環境で形成されたものであって、環境かわれば感覚や価値観はいくらでも変わる、変わることが普通のことである、といった価値観に自分が触れることができた。

 自分の昔の体験、知らずにすり込まれた価値観、が正しいかのように考え、自分を縛りその結果その価値観を家族に押し付けていることが多かったのではないか、と気づいた。 その結果、何か新しい感覚でものごとに取り組もうとおもいはじめることができた。

 

もちろん過去してしまったことを帳消しにするような都合のよいことは決してしてはいけないが、出来事や価値観、好き嫌いを、過去の経験や過去の価値観からすればこうだよね、とする必要もない、という感覚をはじめてもつことができた。アドラー心理学の、いまここ、のようなものでしょうか。

仏教の、無常 常なるものは無い、のようなものでしょうか。

マインドフルネスの、ただ感じる、判断しないのようなものでしょうか。

 

現在は半分別居しているので、年末年始もひとりで過ごすことになった。そのおかげで、今までの「年末年始はなんとなく家族親戚で過ごすもの」、という「本当は自分はいやだけど家族や親戚のためになるしそれが普通だろう」と勝手に思い込んでいた価値観ともお別れすることができた。

 

2月には、初めてひとりでスノーボードにいったが、スノーボードは友達とワイワイいくものでしょ、1人で行くのなんて、、、と思ったことも、やってみると1人もすごく楽しくて、ビックリするぐらいリフレッシュできたりした。 1人で温泉宿もたくさんいったが、1人ならではの楽しさもあり新たな趣味にできた。

 

価値観を押しつけることなく、自分の欲求充足を自分ですることを続けていきたい。自分の欲求充足ができれば、ふとパートナーへの出来事を振り返り感謝し、自分の改善に目を向けることもできたときもあった。

 

今後の課題としては、

・この欲求充足が長続きできるものを探していくこと

・欲求充足の結果として、関わる人との関係性を新たなにできる行動を選択できるようになること

 

次の1年も、「今まではこうだった、がんばるではなく」ではなく、「今これから何ができるか、できないこともある」という選択で成長し、過去の出来事を矮小化することないように取り組んでいきたいです。

                                                 

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