自由について

私は中学高校の中で1年間学校に全く行かない時期がありました

 

理由は一言で言えば疲れてしまったから

いわゆる進学校に身を置く中で、周りのレベルの高さに圧倒されながらも、すべてうまくできなければいけないと、勉強に加えて部活に遊びに、とキャパシティを超えて様々手を出していたら

当然のごとく段々と朝起きれなくなり、そのうち学校を休みがちになり、

一度休みが続くと行きづらくなってしまい、ある時から全く学校に行けなくなりました

昼夜逆転して、夜通しテレビを見て、朝新聞配達のバイクの音を聞きながら寝る生活になりました

20日以上お風呂に入らずに部屋でハリーポッターを読んで過ごしていたこともあります

 

そこから紆余曲折あるのですが、親が新聞の広告で見かけた不登校専門のフリースクールに通うようになります

そこでは、世間一般でイメージされるフリースクールとは異なり、ある先生のもと超スパルタな指導がおこなれていました

先生曰く、社会の道理を身に着けていないから不登校になるのだ、ということで、その社会の道理を身につけるべく、

雪が降るなか日が暮れた後も真っ暗なグラウンドでサッカーをさせられたり、チーム対抗戦で負けたチームは10kmほどを罰として走らなければいけなかったり(一番長いものでフルマラソンさせられたこともあります)、

試合中に声が小さかったメンバーは駅前で道行く人に声をかける練習をさせられたり、気合が入っていないと女性でもみんなの前で先生にひっぱたかれたりと、様々な指導を受けます

 

その中で先生が繰り返し言っていたのがタイトルにある、”自由”についてです

先生は自由というのは、世間一般では権利のように言われているが、義務を果たしてこその権利なのだ、義務を果たさない限り権利はない、と言います

だから学校に行かない、先生のフリースクールに通わない(多くの生徒が先生が怖いので逃げようとします)のは、義務を果たしていない、だから自由や権利はない、と言うのです

実際に私も先生のフリースクールに行かない間は、親が食事を一切出してくれませんでした

 

先生のもとを離れ10年以上経過した中ではありましたが、私のパートナー・子供たちへの暴力もこの考えが根底にありました

パートナーも子供も、家計を支えている私が考える義務を果たせ、でないと自由や権利はない、という考えです

また逆に、私は家計を支えるという義務を果たしているのだから自由にしてよい、という考えもあります

 

パートナーの時間の使い方を批判したり、パートナーに私の仕事の手伝いを強引にさせたり、体調を崩してその手伝いができないときには看病もせず体調管理ができていないことを咎めたり

長男や長女が幼稚園に行くのを渋った際には頭をたたき無理に準備をさせたり、いかないなら辞めさせると脅したりと、まさに家庭において、その”先生”のように振舞っていました

一方、私は好き勝手に飲みに行ったり、休日でも友人と遊びに行ったり、自由勝手に過ごしていました

 

パートナーや子供たちにとって、私がかつてそのフリースクールがそうであったように、私のいる家庭は本当に居心地の悪い場所であったと思います

私はいつも他の生徒が先生に怒鳴られているとき、ひっぱたかれているとき、我慢するように顔をしかめていたことを覚えています

同じ思いをさせてしまったのだと思います

 

先生はことあるごとに言いました。これはすべてみんな(生徒たち)のためなのだと

私も同じことをパートナーと子供たちに言っていました

 

先生のもとでの経験があるから私はパートナーと子供に暴力をふるってしまったのだ、私は悪くない、と言いたいわけではありません

実際に、先生のもとを離れてからの、様々な人とのコミュニケーションの中で、先生の教えが誤っていたことには気づいていました

なのに、私は意識的に先生と同じことをすることを選択してしまいました

短期的には他者を楽に支配できる方法だったからです

同時に人間関係を大きく壊してしまうものでもありました

 

まだまだ学びの途中です

 

先生から学んだ考え方も、今後選択していきたい考え方もいずれもちゃんと言語化し、どんなときも暴力に依らない後者の考え方を選択していきたいと思います。

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