欲求充足を自分自身でするために

紫陽花は、曇天の梅雨空に映えるとても綺麗な花だと思います。

雨の日の通勤時に沿道の庭先に咲く紫陽花を見つけると、心が癒されて明るい気持ちになります。きっと僕の楽しみの欲求が満たされて気持ちが上向くのだろうと思います。

でも、僕にとっての紫陽花効果はそれだけではありません。

別居している妻が大好きだった花で、梅雨になると紫陽花を愛でるためにドライブに行ったものです。紫陽花は妻との繋がりを思い出させてくれて、僕の愛・所属の欲求も満たしてくれるのでした。

 

たんとすまいるの加害更生プログラムの核とも言える選択理論では、人は基本的欲求に動機づけられて行動している、とされています。

基本的欲求とは、人間が生まれてから死ぬまでとり続ける行動のすべてを動機づけるものとされ、それは全部で5種類あるようです。愛・所属の欲求、力・価値の欲求、自由の欲求、楽しみの欲求、生存の欲求、だそうです。

 

なるほど、確かに自分の過去の行動を分析するとこれら5つの欲求にすべて当てはまるような気がします。例えば僕の大好きなアウトドアで、休日に友達とバーベキューを楽しくことなどは、楽しみと自由の欲求、さらには美味しいものを食べて生存の欲求も満たされます。何よりも友達や家族とその時間を共有することで愛・所属の欲求は大満足です。また、仕事の成果を認められて高い評価を得たとき、親切をして他人から感謝されたときなどは、自分の存在価値が高まったと感じて力の欲求が満たされます。

初めて選択理論を学んだ時には、「あぁ、これまでの自分の行動原理はこれだったのか」と目から鱗が落ちるような思いでした。

 

そしてプログラムでは、自分の欲求は自分で満たすことがとても大切だということも学びました。

5つの基本的欲求の強弱は人によって異なるため、まずは自分の行動原理の傾向を自覚することから始めました。僕は力・価値の欲求がとても強くて、他の4つの基本的欲求よりもずば抜けていることがわかりました。振り返ると確かにこれまでの僕の行動は、この力・価値の欲求を満たすことに執着していました。

 

例えば、生活費を稼いでくる自分を認めて欲しい、感謝して欲しい、仕事で上司に評価して欲しい、親切にした人から感謝されたい、父親として子どもから尊敬されたい、次から次に他人から認められたい、という思いが出てきます。

ですから、感謝してくれない妻に腹が立つ、評価してくれない上司に不満を持つ、お礼を言わない他人に腹が立つ、尊敬してくれない子どもにイラつく、という心理状態に陥っていたのでした。

 

さて、自分の欲求は自分で満たすにはどうしたものだろうか、と悩みました。

楽しみの欲求はいいんです。自分が楽しいことをすればいいのですから。

自由の欲求もいいかと思います。何とか時間を作り、工夫して自由にすればいいのですから。

生存の欲求、愛・所属の欲求も僕の場合は自分でなんとかできそうです。

力・価値の欲求充足はどうしたものか。

 

僕はこれまで、人から認められて自分の存在価値を感じるという体験を幾度となくしてきました。そのとき、何とも言えない高揚感を味わってきました。

仕事や勉強で成果を出す。スポーツや喧嘩で相手に勝って自分の力を知らしめる。そのようなやり方でしか、自分に価値を見出せずに生きてきました。親に褒められる、先生に褒められる、周りの大人に褒められる、友達に羨ましがられる、というような体験ばかりでした。

 

そしてこのような経験が、他人に対する外的コントロールを誘発していたということがわかってきました。

先日グループで振り返りをしたときのことです。仲間からの指摘で、僕は自らトラブルを引き起こすような行動をとる癖がある、ということを自覚することができました。

そうなんです。他人とトラブって相手をやり込めて自分の力・価値の欲求充足をする癖があったのです。実はこれ、仲間に指摘されるまで自覚していませんでした。

 

自分の欲求は自分で満たす、ということは他人から認めてもらうということではなく、自分自身が自分を認めてあげることで解消できるということが少しわかってきました。

お仕事頑張ったね、親切にできて素晴らしいね、上手に休むことができたね、と自分自身に声をかけて認めてあげることができたら、少しは嬉しいかもしれません。

 

 

「昨日の自分よりも今日の自分の生き方は素晴らしい」と思えるような人生を歩めるよう、これからもプログラムで学んでいきたいと思います。

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