たんとすまいるに参加するようになって、子供を持たない夫婦が少数派であることを実感した。私の知人は独身も含めて、子供を持たない者が半分ほどである。
そして、私自身は子供を欲しいと思ったことがない。
これは自分の仕事や生き方を第一に置きたいという考えに基づくものだが、私が「ファミリー」的なものへの苦手意識を持っているという理由もある。
ある時までは、なぜそのような苦手意識を持っているのか考えたことがなかったが、ある時、カウンセラーとの面談を通じて、母親との確執によって心に傷を負ったのではないかと思い当たった。
ところで、「ドメスティック・ヴァイオレンス」という言葉に比べると「モラル・ハラスメント」はだいぶマイルドな響きである。
私自身、たんとすまいるに参加するまで、自分の妻に対する言動をモラハラとは思っていても、暴力と捉えたことはなかった。
言葉の響きは、問題の本質を覆い隠すことがある。「しつけ」と称して虐待を行うように、「子育て」の中で、親自身も無意識ながら子への精神的暴力が行われるケースもあるのではないか。
いま振り返ると、私の両親は、私に対して条件付きの愛を与えてきたように思う。テストの点数が良ければ褒めるし、お小遣いといった褒美を与える。「点数が悪かったら夕食は抜き」ということはさすがに無かったが、勉強や進路についてはうるさく口を出された。
友人・恋人付き合いを中心に過剰な干渉を受けたし、服飾の専門学校へ行きたいと希望を語ったら、「そんなのは夢だ!」と全否定をされた(自分のセンスを考えると、結果的には正解だったかもしれないが)。
特に母親の否定的な態度がひどく、今では極力会わないようにしているが、それでも会うたびに、げんなりとさせられることが多い。親族の前でも平気で私の仕事や生き方を否定する。
母の観念に基づけば、安定した仕事に就き、子供を生み、マイホームを買わなければ「幸福」ではないからだ。
改めて振り返れば、文句を言う、脅す、批判する、褒美で釣る、ガミガミ言うなど、致命的な7つの習慣をずっと受け続けてきた。
そうして母親から長年にわたって刷り込まれたネガティブなものの見方や考え方は、私自身の価値観の一部となり、一方では「家族」という概念への嫌悪感となり、他方では妻への暴力を再生産してきた。
母親は、赤ん坊が抱く「理想の世界」の中に最初に据えられる存在であるという。だからこそ、自分の理想の世界から引き剥がすのも難しいわけである。
40歳を手前にして、自分の偏った価値観をいつまでも親のせいにするわけにもいかず、かといって親からの影響をクシャクシャ丸めてゴミ箱に入れるわけにもいかず。自分を変えることの難しさを悟っている。
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