自分のDVが原因で、パートナーと当時1歳の娘と別居し、一年後の昨夏から再度同居して生活を送っています。
別居後、四か月ぶりに初めて児童館で再会した娘の姿が今でも鮮明に思い出されます。「誰だっけ、この人は?」という風にしばらく固まって、不思議そうにこちらを眺めた後、少しずつ寄ってきてくれて、一緒に遊びました。その後、徐々に会う頻度が増え、パートナーの外食時や出張時のお泊り時に二人での時間を過ごすうち、再び娘の中でも「お父さん」という認識が生まれ、同居後もおかげさまで三人で楽しく暮らすことができています。
今月は近所の神社でパートナーと娘と三人で七五三のお祝いをする予定で、今からとても楽しみです。一方、私のDVが原因での別居となり、再同居にあたっても相互の実家との交流はお互いにまだ途絶えている状況で、七五三での娘の姿を楽しみにしていた自分の実家のおじいちゃん、おばあちゃんに着物姿の娘を一緒に見せることは今回出来なさそうです。
こういう時、以前の自分であれば、自分のDVが原因でこういった事態になったことを都合よく忘れ、腹を立てて、パートナーを責める形で、言葉の暴力をしていたと思います。今は、たんとすまいるでの学びを通じ、まずは自分に矢印を向け、三人で楽しく安心した時間を継続して過ごせるように努め、その上で、パートナー自身が、どこかのタイミングで、私の実家との交流をしても良いと思ってくれることがあればよいなと思いつつ、それはひとえにパートナーの選択であると受け入れられるようになりました。(パートナーの好意で、今でも私と娘のみで実家に行ったり、泊まったりして、おじいちゃんおばあちゃんや従兄妹と遊ぶことは勧めてくれ、できています)
特に別居当初は、もう二度と娘とも会えないかもしれないと真剣に思っていたことを考えると、こうして七五三を一緒にお祝いできることは本当に幸せなことであり、こうした生活を今後も続けられるかは、ひとえに自分自身の日々の選択にかかっているのだと実感しています。
5-10