絶対に更生するという覚悟を決める

「もう終わりにして・・・」と呟いた後、ひと息すって「もう殺してぇぇぇ」と妻が叫んだ。

 

 これは映画やドラマのワンシーンなどではなく、約4年半前の僕の家庭の日常でした。

 ほとんどの場合、僕が妻の話を受け付けないことが発端でした。家事の負担が大変なこと、育児やご近所づきあいに関する悩みなど、僕にとっては煩わしくて面倒に感じるものでした。

 のらりくらりと話をはぐらかす、話題を変える、それでも食い下がってきて話し続けられると、不機嫌な態度で妻を怒鳴りつけていました。

 彼女の思考や行動が悪い、他の人はうまくやっているのに何故できない、努力が足りないと言って妻を責め立て、何とか話をやめさせようとしていました。

 そしてとうとう冒頭のような言葉が出るまで精神的に妻を追い詰めてしまったときでさえ、「何を大袈裟な。死ぬなら勝手に死ね」という暴言を浴びせつけていました。

 

 僕は加害更生プログラムに参加して約4年半が経ちますが、自分が妻と子どもを傷つけてきた出来事は今でも次から次へと思い出されます。

 いや、正しくはプログムに参加し続けていることで自分のしてきたことを意識し続けられているのだと思います。

 「自分を殺してほしい」という言葉が出たときの妻の苦しみ、悲しみ、痛みはどれほどのものだったのだろうか。それを自分の夫に向けて言うときの気持ちはいかほどのものだろうか。そこまで追い詰められているにも関わらず、冷酷な態度をとり続ける夫に対する怒りと恨みはどんなに深いものだろうか。

 きっと妻は自分自身を守るために必死で僕に抵抗していたのだと思います。何度も僕に傷つけられてきた彼女もついには、怒鳴り返す、物を投げ返す、時には叩いたり蹴ったりするということもありました。それでも僕は彼女の気持ちを慮ることはありませんでした。 

 仮に僕が誰かに対して絶望し、これほどの怒りと恨みを抱いたとしたら、果たして許すことなどできるだろうか。

 考えれば考えるほど、自分のしてきたことの重大さに気づいてゆきます。

 

 妻と離れて暮らすようになってまだ4年半しか経っていないのです。

 わずか4年半で妻の傷ついた心が回復するのでしょうか。

 そして未だ僕が妻と子どもに対して行ってきた虐待は全て明らかにできているわけではないのです。

 僕はプログラムに参加するまで、暴力を振るっているという自覚はありませんでした。

 

 今になって、ようやく僕は一緒に暮らしていたときの彼女の表情や仕草、言葉をひとつひとつ思い出すことができるようになりました。

 彼女の辛い気持ちを想像することで、初めて自分の暴力に気づけるということを学びました。

 自分がしてきた残虐な行為をすべて認めて受け入れることが変化への第一歩だと思います。

 そこを受け入れなければ自分の思考と言動は変わらないし、変われない。

 過去に戻ってやり直すことはできないが、これからはもう二度と妻や子どもに辛い思いをさせるようなことはしない。

 

 「毎日が更生へ向けた道のスタートラインに立っている」という意識で学び続けています。 

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