「インナーチャイルドと向き合う」

※更生プログラムの学びをしていく中で、「私」という個を見つめなおす機会が多くなり、何故DV加害をする

人格の一部が形成されてしまったのか、という部分を「インナーチャイルド」の視点から考えてみました。

※インナーチャイルド(Inner Child):内なる子、潜在意識(無意識)の領域のことを指す

 

 我々はDV更生プログラムを通して日々、自分の価値観、習慣を見直して人間関係の修復に努めています。

DV行為に至る過程は様々で、一概にこうだから、と断言することは難しい部分はあります。

では、何故我々はDV加害をしてしまう状態にまで至ってしまったのか?

一つとして、幼少期から成人に至るまでに経験してきた多くの要因から、我々は偏った思考回路を身に着けてきた、ということも挙げられます。

 

我々はこの瞬間、急に存在して今の自分がいる訳ではありません。

生まれて以降ずっと、周りの環境から吸収して身に着けてきたことの集合体が「私」という個を形成しています。

そう考えますと、これまでの人生のどこかでDV加害をしてしまう要素を学んできているから、我々は実際DV行為に及んでいるわけです。

 

そこで、今回の機会もあり「インナーチャイルド」という視点から私自身のことを振り返ってみました。

インナーチャイルドは、命の危険が迫っている時に自己防衛をしてくれる役割も担ってくれています。

特に、幼少期に経験した心の傷、トラウマと似た状況になると過剰に反応します。

子どもの頃は、親、世話をしてくれる人がいないと生きていけないので、本能的に親に嫌われてはいけないという

判断をしています。そのため、インナーチャイルドは幼少期に親から与えられた心の傷、トラウマを覚えていて、大人になった後でも似た状況になると自分の命の危険が迫っていると判断して過剰に反応してしまいます。

 

私は子供の頃からカッとなりやすい性格で、物を投げて壊したり、家の壁を蹴って穴を開けたりする時がありました。これは、インナーチャイルドの視点から考えますと、自分の命の危険が迫っていると潜在意識に刷り込まれている心の傷、トラウマを負った時と似た状況だと判断して過剰反応している行動だと考えられます。

今思うと、これらの行動は自分の感情を上手く表現できない幼稚な行動であると分かりますが、そこまで過剰反応してしまう心の傷、トラウマが潜在意識の中にあるはずです。

 

私の場合、考えて直ぐに思いついたことは「父親の突発的な怒りの言動」です。

私の父は、怒った時に怒鳴る、物を壊すということがあり、幼少期の私には十分すぎるほどの恐怖が植え付けらえています。その経験から、私のインナーチャイルドはこの恐怖を覚えていて、近い状況になると過剰反応してしまう傾向にあるのかと考えています。

また、自分でも嫌になりますが、恐怖の経験としてこれらを学ぶのと同時に怒りの表現としても学んでしまったせいで、突発的な怒りの言動が父親にそっくりになっています。

 

私のインナーチャイルドは、命の危険が迫っていると判断した時に信号を送ってくれて結果として過剰反応している訳ですが、実際トラウマとは関係の無さそうな局面で過剰反応しているのも確かです。

特に私の場合は、トラウマを想起させる状況なると、恐怖で怯えるのではなくその対象を排除しようと攻撃的になるというタイプだったようで、怒りの感情とかなりリンクしています。

(例で言うと、騒音なども自分の生存を脅かす対象として脳が捉えているのかもしれません)

 

そこを考えてインナーチャイルドと向き合わないと、何時までもDV加害をしてしまう要素を構成しているインナーチャイルドが怯え続けて癒されることはありません。

しかし、一体何に対して怯えて過剰反応しているのか知らないと癒してあげられることもできません。

 

私にとって、恐怖、トラウマの対象として父親の影響がかなり強いことは分かっていましたので、大人になってから一度父親と話してみたことがあります。

父は何故急に人が変わったように怒鳴るのか、物を壊すのか、ここが分からないと自分のインナーチャイルドが納得せず怯え続けるからだと思ったからです。

 

父は子供の時に母親から叩かれて育ってきたから自分の子供達には絶対手をあげないようにしてきたが、その反面怒鳴る、子供達の見えない所で物を壊す、という方法になってしまった、という父なりの葛藤があったようです。

(これも虐待は連鎖するという一部なのかもしれません)

 

また、父が二十歳の時に二つ上の姉が自殺してしまったことが、その後の人生でずっとトラウマとして残っているようです。姉が就職して勤めだす三日前に、父の下宿先に電話があったのですが、父はその時自分の大学受験前ということもあり自分のことで精一杯で、姉に対して無下な対応をしてきちんと話をすることなく素っ気なくして電話を切ってしまったそうです。推測でしかないですが、姉は何かしらの理由から既にぎりぎりの状態になっていて父に助けを求めて連絡をしてきたのかもしれません。

そのため父は自分のせいで姉が亡くなってしまった、自分が姉の助けを振り払ってしまった、と考えてしまい何十年経ってもずっとトラウマとして残っている、とのことでした。

 

話を通して、自分が子供の時に体験した母親からの暴力、姉の自殺によるトラウマ、これらが大きく父に影響を与えて心が傷つき、父の心もずっと悲鳴を上げていた、ということが私なりに納得できました。

また、それらを一人で抱え込んできた父に対して憐れむ心も芽生えて、父を父親という立場の人間から一人の傷付いた人間として見る視点に変わりました。

この時、私の中で初めて父が恐怖の対象ではなく可哀想な人なのだ、という対象にはっきり変わったことを覚えています。

 

この経緯の後に、再度私のインナーチャイルドにまだ何かに怯えているのか問いかけてみると、怒り、怯えという感情よりも何かを憐れむ気持ちの方が強くなっていることに気が付きました。

私のインナーチャイルドが癒されたのかどうかは分かりませんが、恐怖を感じている、憎しみを抱いている、という感情はかなり少なくなっているのは実感できますので、少しは安心して生きて良いのだと納得はしています。

 

父から学んだ怒りの表現方法も私のDV加害性に無関係ではないこと、私が何故、どのようなことに怒りを感じやすいのか、という部分も更生プログラムを通して学んできたことで、段々と理解できるようにはなってきました。

 

しかし、幼少期に備わった価値観、トラウマというのは完全に消えることはなく何時でも日常に影響を及ぼします。

私のインナーチャイルドはふとした瞬間にまた恐怖に怯えて過剰に防衛反応をしてしまいます。

過剰反応している状態を放置しているだけだと、怒鳴る、物を壊すという暴力行為を繰り返すだけです。

だからこそ、自分の持つ思考回路、使う言葉を新しく構築し習慣化していくことで実際にとる行動は変えていかないとなりません。

 

インナーチャイルドのトラウマ自体を消しきることが難しいものだとしても、

我々は思考回路、行動の習慣は変えることができます。

 

時間をかけて少しずつ、自分が幸せな状態でいること、良好な人間関係を築けていること、これらが満たされてくると、自分の怯えているインナーチャイルドも徐々に安心して過剰な防衛反応をしなくなるのかもしれません。

                                    4-27