日頃からたんとすまいるで学んだことを意識して、過ごすようにしていることは、すべての時間とは言わずとも、
意識して実践できる時間が増えているように感じている。学び始めて1年を超えてくるようになると、
自身で立てた取組みについても、ふとした瞬間に思い起こせるようになり、自分自身の心の余裕にも繋がってきているように思っている。
そんな取組みではないが、意識し始めたこととして、次のようなことがある。
自宅からなかなかいなくならない虫に対しても、以前は害虫(実際に世の中では、穀物や木、
場合によってはビニルさえも食い破り、中の物を食い荒らすということもある)としか捉えていなかったが、
その虫に対して、なぜか「生」を感じるときがある。その虫を認識した5〜6年前から、その虫は、
よく身体にぶつかってきたり、身体の表面をはったりするので、すぐに叩いてしまうのであるが、
直近のある日、身体に止まったその虫は、とても元気で、叩こうとすると、すぐに羽を広げて羽ばたいていき、そのまま行方知れずとなってしまった。その羽ばたきは、1mmにも満たない虫であるのに、羽ばたく音が聞こえるぐらいの勢いを感じ(おそらく卵からかえったはかりの元気いっぱいの虫だったと思われる)、むしろその羽ばたきを見て、圧倒された気持ちになったのである。
生きとし生けるもの、それぞれの生き方があり、人間が勝手に害虫と選択しているだけで、その虫たちは、そんな人間の選択など全く知らずに生きている。世の中の生物を考えると、害虫と言われる虫も、世の中のエコシステムの中においては、重要な役割を担っていることもあり、すべてはバランスの上に成り立っていることに気づく。
人間の身体にも、人間として良いと思える微生物や菌、ウイルスしかいないのではなく、悪いと思える微生物、菌、ウイルスも存在している。そんなことは考えずに、清潔にするという大義名分のもと、例えば、殺菌、滅菌、除菌などと銘打って、悪いものだけをやっつけると思える商品が流行っている。しかしながら、悪いものだけ選り分けて、やっつけるものなど、基本的に世の中に存在せず、そこにあるものは選別なく、かなりの確率でやっつけられてしまうのである。
この辺り、清潔、におい、見た目、など人間の感覚として不快だったり、嫌なことがあるとは思うが、実は自分にとって良いと思えるものたちもやっつけてしまうということを知るべきであり、そのことによって、かえって悪いことが起こる可能性があることも知るべきである。
そういう相容れないことがほとんどであることを人間自身が自覚した上で、そういうものを使用、利用するということも必要だと思っている。良いと思っているものが、違う見方をすれば悪いものであったり、悪いと思っているものが実は良いものに貢献していたりするということだと思う。
やはり、すべてはバランスの上に成り立っていて(ただし、そのバランスは静止しているのではなく、常にゆり動いている)、そのバランスを崩さない痩せ尾根をわたるかのように人生を過ごしていくことが皆でできれば、皆がハッピーになれるのだと思う今日この頃です。
4-28