あれから1年、これから1年

丁度一年前の全く同じ日に、ブログを書いていることに先ほど気が付きました。

 

あれから私の周りの状況は悪化してしまっており、

面会も娘に嫌われてしまっているため、半年以上、娘の姿を見ることができず、

写真等でも最近の娘を見ることができていないため、

犬の散歩の際にすれ違う同じ年位の女の子を見ると、

娘もこれぐらいかな?もっと幼いかな?などと想像しながら、

最後に心の中で、元気にハツラツと生活できていたらいいなと言って、

娘の飛び切りの笑顔を想像して、想像の世界の扉を自分で閉じます。

 

娘の事を想像していると、自分の過去の後悔・反省等の

ネガティブな感情に引っ張られそうになるのですが、

想像の最後に、自分を持ち出さずにひたすらに娘の幸せだけを考えて、

想像の扉を自らで閉じることができれば、娘の幸せだけを純粋に願う父親でいられるので、

自らの過去の反省はしつつも、囚われずに今を生きることができるようになります。

ただ、お父さんと娘さんが手をつないで歩いている姿を見た時だけは、

まだ空を見上げて目を乾かさないと、反射的に何かが零れてしまいそうで危ないです。

 

そんなことの繰り返しの中で、1年前よりも画期的な変化として、

毎日の生活で後悔や後ろ向きな感情に囚われることが無く、

日々充実して、今に完結した人生を送ることができていると思います。

 

前は今自分が死んだら養育費が払えなくなってしまい娘が苦労するとか、

娘が結婚するまで生きていたいとか、色んな事を思っていましたが、

自分で完結しない未来に希望を頂かないというか、

自らで完結しない事柄を強く願ったり希望にしすぎると、

外的コントロールの虫が湧いてきて、すぐに自分だけが理想とする未来を、

他人の感情を無視して強制的に作り出そうとするので、

自分の熱力を上手くコントロールして、自分が変わることに昇華させることができています。

 

例えば、娘が結婚するまで生きていたいなら、

カロリーコントロールと筋トレをするとか、最近では禁煙もしたりとか。

自分でできることを最大限にすれば理想に近づけ、

そうして自らが変わっていく事にも喜びと充実感を感じています。

今の生活を繰り返していったその先の未来に、

またどんな発展的な考えが生まれた、新しい自分がいるのか楽しみです。

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