
約5年前、僕が「たんとすまいる」に参加した頃、息子は幼稚園生でした。週末になると朝から「お父さん、公園に行こっ」と言って、可愛らしい笑顔を振りまく子どもを置いて、僕は自宅から出ていきました。
妻に対する僕の暴言・暴力は、自分ではどうすることもできないところまできていました。もう怒鳴るのはやめよう、今日こそは我慢しよう、そう思って頑張っているのに、気づけばいつのまにか家の中が険悪な空気に満ちているという状態でした。
度重なる夫婦喧嘩で、このままでは生活が立ち行かなくなるという危機感がありました。自分のことは棚に上げて、妻さえ我慢してくれれば何も問題など起きないと考えていました。
当然、純真な子どもの心にも悪影響があり、親の喧嘩に無関心になる、親に媚びを売る、親の関心を引くために問題行動を起こすといったような行動が出てきました。
このままではいけないという思いで、僕は自ら別居を申し出たにも関わらず、当初は子どもと離れた寂しさから毎日のように泣いていました。写真を見ては涙、一緒にでかけた公園の近くに行けば涙、息子が好きだったお菓子をコンビニで見ては涙、というような具合でした。
もう一生子どもと会うことができないと思っていたし、自分のことを忘れられてしまうという不安も強くありました。世界の終りのような絶望感でいっぱいでした。
妻に対する暴言・暴力を手放すために別居して「たんとすまいる」に参加したにも関わらず、初めの頃は子どもと離れてさみしくて、可愛そうな自分にばかりに思考が向いていました。
あのときから約5年、今では「たんとすまいる」の面会交流支援を交えながら、妻からは子どもとお泊りお出かけの機会を度々いただいています。
小学高学年になった息子は心身ともに大きく成長していて、よくしゃべり、よく食べて、ゲームやタブレット操作に関しては大人顔負けの技術と知識を披露してくれることもあり、驚くことばかりです。ここまでスクスクと育ててくれた妻には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
お布団を並べて隣で寝ている子どもの横顔を見ながら、しみじみと幸せを感じます。
別居してすぐの頃にはこんな日が来るとは思えませんでした。でも、今感じている幸せは別居前のつかの間の幸せとは異なり、自分でも驚くほど安定感があります。子どもと話すとき、妻と話すとき、自分が何を言おうとしているのかを自覚して、相手にとって安心だと思える言葉を選ぶように考えることができてきたのかな、と少し思います。
別居して毎日が絶望的だったあのとき、人生を投げ出さずに学び続けてきて本当に良かったと思います。
ここまで約5年かかりましたが、子どもがまだ「お父さん」の隣の布団で寝てくれる年齢のうちに再会できたことのありがたさを噛みしめて、これからも学び続けたいと思います。
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