周囲の人たちの思いやり

パートナさんと子ども達が突然実家へ帰り、音信不通になって早いもので2年4か月。

パートナーさんとは2か月に一度、事務的な文言を事務局経由で拝見するだけ。

子ども達とは2年4か月間、写真動画だけの姿でしか見られていない。

その様な状況で、別居開始から1年半ほどは苦悶の日々でした。

子ども達の誕生日やクリスマス等のイベントの時にだけ、子ども達が私への愛いっぱいの動画や手紙をくれるのが私の唯一の生きがい、幸せな日々を過ごしてきました。

その苦悶の日々でしたが、最近は心境の変化があります。

ここまで、苦しんでいる私の姿を見た周囲の人たちが、本当によく私を救い拾い上げてくれました。

別居当初、母姉はほぼ毎日のように私の家に来て世話をしてくれました。

旅費は私(姉)が持つからと、旅行へもかなり頻繁に連れて行ってくれました。

高校時代の仲間たちは、酒を酌み交わしながらよく一緒に泣いてくれました。

仕事に関しては、会長、社長は仕事に手が付かない状況を理解してくれ、勤務時間もお任せにしてくれました。

会長に至っては「おいおい、離婚って金が掛かるだろ?会社からお金を貸してやるぞ?」とまで言って下さりました。

事情を知る社員たちはどんどん私の仕事を奪っていき、私の業務を軽減してくれました。

最近では下請協力会社さんに「どうせSさん独りぼっちのゴールデンウィークでしょ?(笑)一緒にハワイ社員旅行へ行かない?旅費はいらないからさ!」と言って頂き、ハワイへ旅行に行ってきました。

その他にも数えきれないほどの「手助け、思いやり」を周りの人たちに頂きました。

そういった周囲の人たちの温かい気持ちのお陰で、ここ最近は特に心が穏やかです。

当然社会生活をしていればイラっとするシチュエーションもあります。

しかし以前の様な怒りまでには発展しません。

それもこれも、周囲の人たちの温かい心に育てられた結果だと思っています。

相手を思いやり、大切にしていれば必然と周囲の人たちも私を温かく迎え入れてくれると本当に今実感しています。

またパートナさんへはその思いが出来ていなかったから、今この状況があるとも身に沁みて感じています。

相手の気持ちになり、相手を思いやることは人として最低限当たり前のことだと思います。

しかし人は社会生活をしていると、そのことがなかなか実践出来ないのが実情かと思います。

今、私は周囲の人たちに支えられてみて相手を思いやることの大切さ、重要性を再認識しています。

それが出来ていれば良い関係性になって当たり前だし、出来ていなかったから別居となっている訳です。

私へ起こる物事の結果は、すべては私自身が招いた結果なのです。

私の場合は多忙や疲労が原因でゆとりがなくなり、結果、怒りが発生すると認識しています。

その為にも自身の欲求充足をして、自分にゆとりを持つよう心掛けています。

自分にゆとりが無ければ、相手に対して優しくしてあげることなど出来ないと思いますから。

「日々ゆとりを持ち、日々自分を変え、日々自分を高める」そういった気持ちで生活をしていき、いつの日かパートナーさんから許しを得られた時に備えたいと思っています。

今、パートナーさんは3人の子ども達の育てで大変かと思います。

今の私には何も協力や手助けをさせてもらえる立場ではないのですが、日々「子ども達を育ててくれてありがとう」とせめて感謝の念だけは持っています。

「パートナーさん、いつもありがとう」

写真はパートナーさんが可愛がっていた、ここ最近のペットのDくんを上げさせてもらいます。

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