
妻と娘、ペットの猫と別居を始めてから半年が経ちました。幸いなことに、娘とは月に2回以上は会える機会を設けてもらっており、会う度に幼い娘の成長を感じることができ、喜びに満ちています。
別居する前の私は、妻との良好な関係を築くことを諦めていたと思います。「過去の発言をなかったこととして責め立てる」「経済的な力を盾に上から目線で発言する」など、身体的な暴力はないにせよ、私がしてしまった言動は妻の精神・心を傷つけるものでした。当時の私は、妻・子ども・ペットも含めて「家族」という概念でしか捉えられていなかったのだと思います。「家族」のために、私が経済的に支えなければと考えて、より労働条件の良い会社へと転職したり、「家族」のために、それぞれが得意な家事や育児をした方が効率的だと考えて、料理はほぼ妻に任せ、育児も私から積極的に行わなかったりと、妻や子どもそれぞれに対して向き合うことができていませんでした。そこには、自分の意見や考えは言っても無駄だと考えるようになってしまった背景があり、その結果だんだんと自分の想いを自分の中で押し殺すようになっていたのです。妻だって意思をもつ一人の人間だからと、「家族」という見えない概念に囚われずに互いの想いを話し合うことを諦めないで、違いを交渉していくことができなかったことが大きな過ちであったと感じています。
「たんとすまいる」へ参加し始めてから、そんな自分を少しずつですが俯瞰して考えられるようになりました。あ、今自分イライラしているなとか、この人の発言は圧を感じるけど一旦何も考えずに聞いてみようとか、目の前の事象に冷静に目を向けられるようになってきていると日々感じております。
自分の心が落ち着いた状態になるにつれて、妻や娘、ペットと過ごしていた日々の生活=「日常」が、いかに幸せなものであったかを痛感するようになりました。朝起きて、隣に娘がすやすや寝ている、猫に朝ごはんのエサをあげてなでなでする、保育園まで娘と一緒に道草しながら歩いていく、仕事から帰ってきて暖かい食事がある、妻・娘と食卓を囲む、食器を洗って洗濯物を畳みながら娘とおしゃべりする、一緒にベッドに横になって少しだけYoutubeを見て寝る、こんな何の変哲もない毎日を送れていたことが本当に幸せでした。なぜ、あの時この日常があること自体が奇跡なのだと捉えられなかったのか後悔しかないです。でも、あの時はそれしか選択できなかった自分がいたのも事実です。
今の私にできることは、妻や子ども、ペットだけに対してではなく、職場の人、友人、様々なコミュニティで繋がっている人との間で、互いにプラスになるように「良好な関係を築くこと」だと考えています。やってしまった過去をなかったものにはできないことを胸に、「たんとすまいる」で学ぶ仲間たちと共に、未来に向かって成長を続けていく所存です。
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