
更生プログラムの中で自分が育った環境の中で受けた暴力について考える教材があります。
僕は自分の育った環境で多様な暴力を受けてきたり、見てきたりした中で、暴力に対する嫌悪感を感じていたにも関わらず、最愛のパートナーへ多様な暴力を振るってきました。
更生プログラムの参加者から「過去に自分がされて嫌だったことをなぜパートナーにするか深堀されていますか?」と質問をいただきました。その時、考えてみましたけど、答えはわかりませんでした。
DV加害更生プログラムの仲間でそのことについて考え、自分の心、子ども時代の傷が癒されていなかったり、相手をコントロールしたいという気持ちが強かったり、暴力以外の方法がわからない、潜在意識の中に刷り込まれていて自然と出てくる、暴力で指導してもらっているのが羨ましくて、暴力を愛情と捉えてしまった、劣等感を隠すためなど多くの意見をいただきました。自分はどれも当てはまると思いつつも、自分の中で腑に落ちず、少しもやもやが残りました。
プログラムが終わってからもそのことについて考え、自分はパートナーに対して、何を言っても自分から離れない人、わがままも受け入れてもらえる人という甘えた考えがあり、醜い部分や弱い部分をさらけ出せる安心できる存在だったなと気づいたり、パートナーに対して、わかってほしいという期待が大きすぎて、期待通りに反応してくれないと自分が不安になったり、パートナーが自分を傷つけていると誤解し、感情処理の方法がわからなくて強い表現でぶつけるしかなかったのかなと考えたりします。僕は完璧主義なところがあり、そもそもパートナーに求める理想が高すぎだったのかもしれません。
今でも正直、なぜ「過去に自分がされて嫌だったことをなぜパートナーにするか」腑に落ちないところがあるので、じっくりと自分という人間を深堀していき、プログラムを通じて学びを深めていこうと思います。
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