私はこれまで、パートナーに対して強い言動を繰り返してきました。
怒りの感情をそのままぶつけたり、相手が萎縮するような態度を取ったり、
後から振り返ると自分でも胸が痛くなるコミュニケーションを続けていました。
当時は、自分ではそれを「普通の夫婦の言い合い」だと思っていました。
しかし実際には、パートナーは私の顔色を伺いながら生活せざるを得ず、
私の怒りの動きに常に怯え、緊張していたのだと思います。
自分の中にあった“怒りのパターン”
私は、仕事で疲れていたり、嫌な出来事があったり、
心が満たされていないときほどパートナーに厳しくあたることが多くありました。
自分では気づかないまま、いわゆる「八つ当たり」をしていたのだと思います。
また、自分が優位に立っているように感じたい場面では、
パートナーの話をまともに聞かずにスマホを触りながら返事をしたり、
背中を向けたまま会話をしたり、相手の自尊心を傷つける接し方もしていました。
納得できないことがあれば強い口調になり、
大きな声や鋭い表情で圧をかけてしまう。
「身内なら許される」と思い込んでいたのだと思います。
発覚と別居、そして“自覚”
ある出来事をきっかけに、パートナーは2歳の息子を連れて家を出ていきました。
その後、双方の弁護士との話し合いの中で、私は初めて
「自分の行為はDVである」とはっきり指摘されました。
それまでは本気で
「自分は悪くない」「納得できないから怒っているだけ」
と思い込んでいました。
しかしそこで初めて、
自分がしてきたことの重さに向き合う必要があると自覚しました。
当時の私は“感情のケア”を相手に求めていた
今なら分かるのですが、
私はパートナーに対して怒りをぶつけていたのではなく、
本当はこんな気持ちを受け止めて欲しかったのだと思います。
- 褒めてほしい
- 労ってほしい
- 喜んでほしい
- 寂しさや不安を察してほしい
- 話を聞いてほしい
- 仕事の気疲れを癒してほしい
それが叶わなかったとき、
悲しさや不安を「怒り」に変換して相手へぶつけるという
未熟なパターンを繰り返していました。
「パートナーが怒らせたから怒った」のではなく、
“怒るという手段を自分が選んでいた”
ということも、今では理解できます。
認知のゆがみと、パートナーへの誤った期待
当時の私は、こう考えていました。
- 「俺が決めないとパートナーは何もできない」
- 「だから従うべきだ」
- 「逆らわれると腹が立つ」
しかし今なら、
パートナーはただ“遠慮がちな性格”であり、
決して何も考えていないわけではなかったと分かります。
相手のペースに合わせること、
相手の自由を尊重すること、
これらができていませんでした。
DVは“性格”ではなく“パターン”
加害更生を学ぶ中で気づいたことがあります。
加害は性格ではなく、
未熟なコミュニケーションや認知のゆがみから生まれる“パターン”だということ。
だからこそ、パターンを手放すことができれば、
加害はなくなる。
これは今の自分にとって希望です。
いまの私が願うこと
家族の今後の形は、現在も話し合いの途中です。
しかし、父と息子であることはこれから先も変わりません。
私は息子に「怒りで相手を動かす大人」ではなく、
「相手と安全に話せる大人」の背中を見せたい。
そのためにも、
私は自分の内面を整え続けたいと思っています。
最後に
空は、今日も、青い。
ただ一度転んだからこそ見える世界があります。
これからも、学び続けます。
2-19







