2025年までの振り返りと、いま見えていること

私はこれまで、パートナーに対して強い言動を繰り返してきました。

怒りの感情をそのままぶつけたり、相手が萎縮するような態度を取ったり、

後から振り返ると自分でも胸が痛くなるコミュニケーションを続けていました。

 

当時は、自分ではそれを「普通の夫婦の言い合い」だと思っていました。

しかし実際には、パートナーは私の顔色を伺いながら生活せざるを得ず、

私の怒りの動きに常に怯え、緊張していたのだと思います。

 

 自分の中にあった“怒りのパターン”

私は、仕事で疲れていたり、嫌な出来事があったり、

心が満たされていないときほどパートナーに厳しくあたることが多くありました。

自分では気づかないまま、いわゆる「八つ当たり」をしていたのだと思います。

 

また、自分が優位に立っているように感じたい場面では、

パートナーの話をまともに聞かずにスマホを触りながら返事をしたり、

背中を向けたまま会話をしたり、相手の自尊心を傷つける接し方もしていました。

 

納得できないことがあれば強い口調になり、

大きな声や鋭い表情で圧をかけてしまう。

「身内なら許される」と思い込んでいたのだと思います。

 

 発覚と別居、そして“自覚”

ある出来事をきっかけに、パートナーは2歳の息子を連れて家を出ていきました。

その後、双方の弁護士との話し合いの中で、私は初めて

「自分の行為はDVである」とはっきり指摘されました。

 

それまでは本気で

「自分は悪くない」「納得できないから怒っているだけ」

と思い込んでいました。

 

しかしそこで初めて、

自分がしてきたことの重さに向き合う必要があると自覚しました。

 

 当時の私は“感情のケア”を相手に求めていた

今なら分かるのですが、

私はパートナーに対して怒りをぶつけていたのではなく、

本当はこんな気持ちを受け止めて欲しかったのだと思います。

- 褒めてほしい

- 労ってほしい

- 喜んでほしい

- 寂しさや不安を察してほしい

- 話を聞いてほしい

- 仕事の気疲れを癒してほしい

 

それが叶わなかったとき、

悲しさや不安を「怒り」に変換して相手へぶつけるという

未熟なパターンを繰り返していました。

 

「パートナーが怒らせたから怒った」のではなく、

“怒るという手段を自分が選んでいた”

ということも、今では理解できます。

 

 認知のゆがみと、パートナーへの誤った期待

当時の私は、こう考えていました。

- 「俺が決めないとパートナーは何もできない」

- 「だから従うべきだ」

- 「逆らわれると腹が立つ」

 

しかし今なら、

パートナーはただ“遠慮がちな性格”であり、

決して何も考えていないわけではなかったと分かります。

 

相手のペースに合わせること、

相手の自由を尊重すること、

これらができていませんでした。

 

 DVは“性格”ではなく“パターン”

加害更生を学ぶ中で気づいたことがあります。

加害は性格ではなく、

未熟なコミュニケーションや認知のゆがみから生まれる“パターン”だということ。

 

だからこそ、パターンを手放すことができれば、

加害はなくなる。

これは今の自分にとって希望です。

 

 いまの私が願うこと

家族の今後の形は、現在も話し合いの途中です。

しかし、父と息子であることはこれから先も変わりません。

 

私は息子に「怒りで相手を動かす大人」ではなく、

「相手と安全に話せる大人」の背中を見せたい。

 

そのためにも、

私は自分の内面を整え続けたいと思っています。

 

 最後に

空は、今日も、青い。

ただ一度転んだからこそ見える世界があります。

これからも、学び続けます。

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