沖縄の「又吉コーヒー園」での体験から考えたコミュニケーション

1月12日(月)、沖縄にある「又吉コーヒー園」に行ってきました。

そこで私は、コーヒー豆を摘むところから、一杯のコーヒーを淹れるところまでの全ての工程を体験しました。

 

コーヒー豆を摘み、皮を剥き、身を洗い、豆を乾かし、剪定し、豆の皮をむき、煎り、削る。

そしてお湯の温度を測り、中央に円を描くようにお湯を注ぎ、30秒待ち、中心に向かって静かにお湯を注ぐ。

普段何気なく飲んでいる一杯のコーヒーが、これほど多くの工程と手間、時間を必要としていることに驚きました。

 

この体験を通して、人間関係におけるコミュニケーションの取り方について、深く考えさせられました。

 

私は過去に、DVの加害をしてしまった人間です。

振り返ると、私は相手の状態や気持ちを確かめる前に、自分の感情を一気にぶつけてしまっていました。

それは、乾ききっていない豆を無理に煎ったり、お湯の温度を測らずに注いだりする行為と重なりました。

 

コーヒーづくりの中には、「待つ」工程が何度もありました。

豆が乾くまで待つこと。

お湯を注いだあと、30秒蒸らすこと。

その待つ時間が、味を決める大切な要素になります。

 

けれど私は、コミュニケーションの中で待つことができませんでした。

自分の不安や怒り、焦りをそのまま相手に向け、相手の反応を聴く前に決めつけ、支配しようとしていました。

それは対話ではなく、相手を傷つけてしまう行為だったと今は思います。

 

また、お湯は中心に向かって、静かに、少しずつ注ぐ必要がありました。

勢いよく注げば、味は崩れてしまいます。

それは、相手の中心――感情や価値観、尊厳――に敬意を払うことの大切さを教えられているようでした。

 

体験の中で、「深煎りも浅煎りも、結局は好みであって、どれもコーヒーで、どれも良くて、楽しい」という言葉を聞きました。

その言葉に、私は強く心を打たれました。

これまでの私は、自分の「正しい味」だけを相手に押しつけ、違いを受け入れることができていなかったのだと思います。

 

更生プログラムに参加する中で、私は「正しいことを言う」よりも、「安全な関係をつくる」ことの重要性を学んでいます。

そのためには、相手に何かを伝える前に、まず自分の温度を測ること。

今の自分は熱くなりすぎていないか。

この言葉は相手を焦がさないか。

一度、待つことはできないか。

 

又吉コーヒー園での体験は、私にとって、コミュニケーションを一から学び直す象徴的な時間でした。

過去の加害の事実から目を背けず、違いを「間違い」と決めつけない姿勢を、これからも身につけていきたいと思っています。

 

あなたのコーヒーの淹れ方を教えてください。

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