【はじめに】
なんとなくですが、春の季節になるころに、このブログ記事を書かせてもらうことが多い気がしています。毎回、「今回は何をお伝えしようかな」と悩むのですが、今回は少し前にパートナーと話した、子どものおむつ替えのことについて書いてみたいと思います。おむつ替えというと、子育ての中ではとても日常的なことです。毎日何度も行う、当たり前のようなお世話の一つです。その当たり前の行為について、パートナーと話している中で、私は人と自分との「境界線」というものを改めて考えるきっかけをもらいました。
【境界線について】
その話をしたきっかけは、私自身が最近、境界線についてよく考えていたことでした。ここでいう境界線とは、自分と他人を分ける線のようなものです。身体的な境界線だと「パーソナルスペース」という言葉があったりするかと思います。自分の気持ち、自分の考え、自分の身体、自分の選択、自分の時間。それらは本来、自分自身のものであり、他者が勝手に踏み込んだり、決めたり、支配したりしてよいものではありません。もちろん、人は一人では生きていけません。家族やパートナー、友人、職場の人たちと関わりながら生きています。その中では、お願いをしたり、助け合ったり、意見を伝え合ったりすることもあります。でも、どれだけ近しい関係であっても、「相手は自分とは別の人間である」という前提を忘れてはいけないのだと思います。この境界線を見誤ると、相手の気持ちを自分の都合で決めつけたり、相手の行動を自分の思い通りにしようとしたりしてしまいます。それは依存につながることもありますし、暴力につながることもあります。
私は過去に、パートナーの境界線を侵害してきました。相手には相手の気持ちがあり、考えがあり、選ぶ権利がある。その当たり前のことを、自分の都合で見ないようにしていました。そして、自分が相手の境界線を踏み越えているにもかかわらず、「自分は悪くない」「相手がこうだから仕方ない」と、自分の暴力を正当化していました。
当時の私は、「境界線」という言葉自体を意識していませんでした。仮にその言葉を知っていたとしても、きっと本当の意味では理解できていなかったと思います。
「彼女なんだから、自分のことを分かってくれるはず」
「恋人同士なら、気持ちは一つであるべき」
「妻なら、夫の言うことを受け入れるものだ」
そんな考え方が、どこかにありました。今振り返ると、それは相手を一人の人間として尊重する態度ではありませんでした。相手を自分と一体のもののように考えたり、自分の思い通りになる存在のように扱ったりしていたのだと思います。
そんな自分が、たんとのプログラムで学び、考え続ける中で、少しずつ自分の加害性と向き合うようになりました。そんな中で、とても良いご縁を頂いて、今のパートナーと出会い、娘が生まれました。
【娘のお世話と境界線】
私がパートナーや娘と接するうえでも、境界線は特に気をつけたいと思っていることの一つです。そんな中で、パートナーとは、娘のお世話をするときの境界線について話すことがあります。子育て、とくに赤ちゃんのころのお世話は、ある意味では、境界線を越えざるを得ない場面の連続だと思います。ご飯を食べさせたり、服を着替えさせる。お風呂に入れる、などなど。そのどれもが、子どもが健康に、安全に、安心して生活していくために必要なことです。親として、養育者として、やらなければならないことです。そんな中、パートナーとお世話と境界線についてお話したのは、おむつ替えの話でした。
もし今の私が、何らかの事情で着替えや排泄の介助が必要になったとします。たとえそれが医療上必要なことだったとしても、生活のために避けられないことだったとしても、自分の身体に関わることを他人にされるのは、とても抵抗があると思います。「恥ずかしい」、「つらい」「みっともない」、「できれば見られたくない」、そう感じると思います。
もちろん、赤ちゃんである娘が今、私と同じように言葉でそう感じているわけではないかもしれません。けれど、おむつ替えという行為は、娘の身体に関わる、とてもプライベートな領域に踏み込む行為です。だから私は、娘のおむつ替えをすることは、必要なお世話であると同時に、「娘の境界線を踏み越えている行為」でもあるのだと思うようになりました。
【境界線を意識するとは】
もちろん、おむつ替えは必要なことです。「境界線を越えることになるから、おむつ替えをしない方がよい」という話では当然ありません。おむつを替えなければ、娘が不快な思いをしたり、肌が荒れたり、健康に影響が出たりします。だから、親として必要なことはします。ただ、私が大切にしたいと思っているのは、必要なことだからといって、何も考えずにしてよいわけではない、ということです。
たとえ娘のお世話に必要なことであっても、「今、自分は娘の境界線を越えているのではないか」、「必要な行為ではあるけれど、娘にとって安心できる形になっているだろうか」、「自分の都合や効率だけで進めていないだろうか」と考え続けることが必要なのではないかと思っています。私自身は私がこの意識を持たないと、親として子どもとの境界線がなくなってしまうのではないかと感じています。例えば、「親だからして当然だ」、「まだ小さいから分からない」と、そういう感覚が強くなると、子どもを一人の人間として見るのではなく、自分の一部のように見たり、自分の所有物のように見たりしてしまう危うさがあるのではないかと思います。
私自身、過去にパートナーとの関係で、相手を自分とは別の人間として尊重できていなかった経験があります。だからこそ、娘との関係でも、「親だから」という立場に甘えずに、娘の身体や気持ちや尊厳を、できる限り大切にしたいと思っています。
【自分が気をつけていること】
こんな話をパートナーとした後、私は主に二つのことを気をつけるようにしています。
一つ目は、「今の娘が、その境界線を越えられることをどう感じているか」を考えることです。娘はまだ、大人のように自分の気持ちを言葉で説明できるわけではありません。でも、表情や声、体の動き、泣き方、嫌がり方などで、たくさん自分の気持ちを伝えてくれています。たとえば、今までは気にしていなかった場所でのおむつ替えを、ある時期から嫌がるようになるかもしれません。服を脱がされることに抵抗を示すようになるかもしれません。遊んでいる途中で急に連れて行かれることに、不満を感じることもあるかもしれません。もし私が境界線を意識していなければ、そうした小さな変化に気づけないと思います。娘には娘の感じ方がありますし、まだ小さくても、娘は一人の人間です。娘の境界線を一人の人間として、大切に接していきたいと思っています。
二つ目は、「将来の娘にとってどう感じるか」という視点を持つことです。たとえば、娘の祖父母が家に来てくれたとき、私たちは祖父母の前で娘のおむつ替えはしないようにしています。赤ちゃんの今だけを考えれば、「家族だから大丈夫」「まだ分からないから大丈夫」と思うこともできるかもしれません。でも、将来、娘が大きくなったときに、祖父母からおむつ替えのときの話をされたらどう感じるだろうか、と想像しました。もちろん、娘が必ず恥ずかしいと思うかどうかは分かりません。気にしないかもしれません。でも、もしかしたら、恥ずかしいと思うかもしれない。「自分の知らないところで、自分の身体に関することが人に見られていた」と感じるかもしれない。将来の娘の気持ちは、今の私たちには完全には分かりません。だからこそ、パートナーと私でたくさん想像して、話し合いました。そして、「やっぱり見せないようにしようね」と決めました。これは、何か特別な正解がある話ではないと思います。家庭によって考え方も違うと思いますし、状況によって判断が必要な場面もあると思います。ただ、私たちにとって大切なのは、「娘はまだ小さいから何をしてもよい」と考えないことでした。
今の娘の気持ちを想像する。
将来の娘の気持ちも想像する。
そして、親である自分たちの都合だけで決めない。
その積み重ねが、娘の境界線を尊重することにつながるのではないかと思っています。
【これからも考え続けたいこと】
もちろん、娘の命の安全や生活のために、これからも境界線を踏み越える必要がある場面は続くと思います。危ないことをしようとしたら体をつかんで止めたり、体調が悪いときには、本人が嫌がっても薬を飲ませる必要があるかもしれません。清潔や健康を守るために、本人の意思だけでは決められないこともあると思います。子どもを育てるということは、子どもの意思を尊重することと、親として必要な判断をすることの間で、何度も悩むことなのかもしれません。だからこそ私は、「親だから」、「まだ小さいから」という言葉で、自分の行為を簡単に正当化しないようにしたいと思っています。
今の娘と自分の境界はどこにあるのか。
娘が安心できる関わり方になっているか。
自分の都合や支配になっていないか。
そうしたことを、これからも考え続けながら娘と関わっていきたいと思います。
そしてそれは、娘との関係だけではありません。もちろんパートナーとの関係でも同じです。私は自分が二度と暴力を選択することが無いようにしたいし、パートナーにとって対等平等な関係だと思ってもらえるよう努力をしていきたいです。そのためには、パートナーの境界線も大事にすることが当然必要です。言葉にすると当たり前のことですが、私は過去にそれができませんでした。今も完ぺきにできているかというと、正直自信はありません。でも、理想の自分は他者の境界線を大事にできる自分です。だからこそ、今も学び続ける必要があると思っています。
おむつ替えという、日々の本当に小さなお世話の中にも、自分の加害性や、これから大切にしたい関係性を考えるきっかけがあるのだと思いました。境界線を尊重することは、相手との距離を冷たく取ることではなく、相手を一人の人間として大切にすることなのだと思います。これからも、娘にも、パートナーにも、そして自分の周りにいる人たちにも、そのことを忘れずに関わっていきたいです。このことを気づかせてくれたパートナーとたんとの仲間に感謝をお伝えしたいです。ありがとう!
P.S.
毎年、春になると「今年の一番」と思える桜の写真を撮るのが、私の楽しみの一つです。今年もまた、きれいな桜を見ることができました。
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