家庭内での息苦しい生活に耐えかね、パートナーと子どもを置いて家を飛び出し別居してから半年が経ちました。弁護士を介して調停も申し立て当初は離婚の覚悟でしたが、その後紆余曲折があり、再構築を目指して今に至ります。別居前は、お互いのコミュニケーションが破綻し、自分はDVの加害者なのか被害者なのか分からないような状況が続いていました。加害更生プログラムにはまず自分から参加し、毎回様々な学びを得ています。
別居してから様々な文献に触れましたが、古典である論語に改めて触れてみて、自身のこれまでの行動を振り返る良い機会となっています。今回は、『論語』の克己復礼についてお話しさせていただきます。孔子は、弟子である顔淵に仁(思いやりの心)について問われた際、「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや」と答えました。この「克己復礼」ですが、解釈すると、「自身の私欲に打ち勝って、礼儀や規範に立ち返ること」となります。その後の部分も解釈すると、「たとえ一日でも私欲に打ち勝って、礼儀や規範に立ち返れば、世の中は仁に戻る。仁を行うのは自分の意志であって、他人からではない」となります。
選択理論での夫婦やパートナーとの関係に置き換えて考えてみると、「克己」の“己”は、相手を支配しようとしたり自身の正しさに固執したりする外的コントロールに相当するでしょうか。一方で、「復礼」の“礼”は、“仁”(=対等で誠実なパートナーシップに基づく思いやりの心)の具体的な現れとして実際になされる行動ととらえられます。わたしは、結婚後、特に子どもが生まれてからも、一人暮らしをしていた時のような生活リズム、習慣が変わらず、家庭の多くのことは妻が担っていました。パートナーが産後にうつ病を発症してからも、特に生活やコミュニケーションを改めることなく、「家庭のことはこれまでパートナーが担ってきたから、パートナーに任せる」という、自身の固定観念、特権意識にとらわれていました。パートナーの苦しみや不満に気づいていながら、十分に耳を傾けられず、無関心であったように思います。わたしの礼を欠いた言動はパートナーを傷つけ、仁から遠ざかっていきました。また、パートナーもそんなわたしに苛立ちを覚え、暴力がエスカレートしていきました。お互いが、外的コントロールを手放せず苦しい状況でした。
孔子は仁を実践する要点を弟子から問われ、「礼に非ざれば視ること勿かれ。礼に非ざれば聴くこと勿かれ。礼に非ざれば言ふこと勿かれ。礼に非ざれば動くこと勿かれ」(礼にかなっていなければ視てはいけない。礼にかなっていなければ聴いてはならない。礼にかなっていなければ言ってはいけない。礼にかなっていなければその行動をしてはいけない)と答えました。自らが礼を欠いた言動(例えば「致命的な7つの習慣」)を慎むだけでなく、もし相手がそうした言動をしてしまったら、争うのではなく距離を置かなければならない。パートナーとの関係でも境界線を主張する重要性が説かれている箇所だと解釈しています。
今、わたしとパートナーは再構築に向けて動いていますが、今一度克己復礼の精神を忘れず、これからも学びを深めていこうと思います。
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