日々の取り組みが大切だと思えたこと

加害更生プログラムで学んだことを課題とし、日々意識して生活していると、

あらゆる場面で自分の自己中心的な思考癖に気づくことがあります。

職場や公共の場はもちろんのこと、ひとりで居るときにもその思考癖は出てきます。

 

例えば、ひとりで車の運転ををしているときに赤信号につかまるとイラついたり、

スーパーのレジで行列ができていてなかなか進まないとイラついたり、

職場で自分が作成したプレゼンに修正が入るとイラついたりと枚挙にいとまがありません。

これらすべての"イラつき"こそが私の攻撃性であり、

この気持ちを放置したまま許し続けることは暴力を容認し続けることと同じだと

考えることができます。

 

自分が思っているだけなのだからいいだろう、

周囲に人がいないのだからいいだろうという考え方は、時と場合によっては

暴力を振るってもいいだろう(仕方がない)という考えと同じだと私は感じます。

なぜなら、この"いいだろう"の基準は自己中心的な自分が決めていいるのだから

無きに等しいと言えるからです。

 

先の例を少し考えて客観的に見れば、信号が変わるのは当たり前、

スーパーが時間帯などによっては混雑するのは当たり前、

仕事でより良い成果を得るために修正が入るのは当たり前という出来事であり、

イラつく要素は何もないということがわかります。

 

しかし、私は自分の攻撃性を正当化するために信号で止められた、

レジで待たされる、仕事を否定されたという被害者になろうとしていたことに気づきました。

本当の気持ちは、何でも自分の思い通りになるはずだし、

できるはず又はそうしてみせるという幼児のような願望を持ち続けていて、

それを叶える手段として駄々をこねたり拗ねたり威嚇したりする言動が有効だと

未だに思っているのです。

 

このような未熟で恥ずかしい思考を持っている自分、

情けない自分を隠そうとする気持ちが私の暴力的な言動のもとにはあるのだと

知ることができました。

プログラムの課題を意識して生活していると

自分の歪んだ思考癖や言動のパターンに気づくことが多々あります。

こうしたパートナーや子どもたちとの関わり以外で得られる気づきも、

自分が変わるためのチャンスとして大切に活かしていきたいと思っています。