加害更生プログラムの基礎講座では、
DVについて学ぶための参考図書の通読を薦められます。
私はこれらの参考図書を初めて読んだとき、
自分が今までパートナーと子どもたちにしてきたことが暴力だったことや、
その目的が自分の思い通りに相手をコントロールするためだったことを知りました。
本を読んで知識を得たことで目から鱗といった状態になり、
これで自分の問題点と改善点がわかったのですぐにでも変われるというような気になりました。
しかし、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
本で得た知識をもとに自分の悪いところ、
こうゆう所は改めるところと意識しながら日々を過ごしていたのですが、
日常の言動から自分のそのような点に気づくことが難しかったのです。
なぜなら参考図書を読んだばかりの頃、
私は自分の思考や視点が歪んでいるという認識を持っていませんでした。
私の言動によって相手が困ったり悲しんだり怒ったりしたとき、
自分は正しいことを言っているのに、
なぜ相手はそれがわからないのだろうという考えでした。
ですから、いくら参考図書などでDVのことを勉強しても
自分の言動にあてはめて考えることができなかったのです。
ドラマや映画、ニュースでこれはDVだとわかっても自分に重ねて考えてはいませんでした。
このことについて、先日ふと図書館で手にした本に
「学び」と「勉強」の違いについて書いた一文から気づきがありました。
その本の題名は"いのちのリレー(ポプラ社)"といい、
がんで余命宣告を受けた小学校の校長先生が亡くなる直前まで
自らの命をかけて児童たちに命の授業をする、という内容でした。
この先生が教育について次のように述べていました。
"「学び」と「勉強」は違うんですよ。
生きていくために必要なのは「学び」です。
まなびは友達に出会い、教材の世界に出会い、立ち返って自分に出会うこと。
そして、自分自身が変わったと気づくことが学んだ証です。
学びは人や教材や対象がないと成立しません。
勉強は家でも塾でも一人でできますが、学びは一人ではできない。"
この一文を読んでプログラムに参加した当初の自分のことを改めて思い返しました。
私は参考図書を読み漁り、DVの知識を詰め込んでいましたが
言動を変えることができていませんでした。
これは勉強はしていたが学びにはなっていなかったからだと思いました。
一人で勉強していたことイコール独り善がりだったため
自分の思考や価値観を客観視できていませんでした。
だから自分自身の言動を振り返ることもなかったことに気づきました。
この一文は子どもたちが勉強ではなく生きる力を学ぶための
学校作りについて校長先生が述べられていたことでしたが、
私はたんとすまいるのグループにも当てはまっているように感じました。
私にとって校長先生の言葉は、
グループで更生の意志を持つ仲間たちと出会い、教材に出会い、
自身を振り返り学び続けることで、
変われると言ってくださってるように感じて励みになりました。