自分を自分でご機嫌にする

私は自らのDV、暴力によって妻と子供たちを傷つけてきました。

その結果、別居して約4年、その後に離婚して約2年が経ちます。

別居後、しばらくして参加した「たんとすまいる」で学んだことの一つに、「自分で自分をご機嫌にする」ということがあります。それは「自分に責任の矢印を向ける」、即ち「自分の責任を自分で引き受ける」ことであり、私に必要な考え方になっています。

 

同居していた頃の私はいつもにイライラし、不機嫌な態度をふりまいていました。それを「仕方ない」と言って、妻や子供たちを傷つけてきたことはすべて私の過ちでした。

私のイライラや不機嫌の背景には、私の「歪んだ価値観」がありました。

それは、「私は正しいことをしようとしている。できなくても精一杯やっている。だから私は間違っていない。それを責める相手が間違いだ。」というものでした。

しかしその「歪んだ価値観」も、私の選んだ価値観であり言い訳に過ぎません。私は勝手に自らの責任を棚にあげて、他人に押しつけていました。そうやって私は自分に責任の矢印を向けず、妻や子供たちに責任の矢印を向けて責めることで、精神的、身体的等の様々なDVを行って家族を傷つけました。すべて私自身の責任です。

 

その過ちに気づいたきっかけは家族と別居したことです。別居後に慌ててモラハラ等の本を読んで、やっと私は「自分が間違っていたかもしれない」と思い始めました。

その後、たんとすまいるに参加し、私は漸く「家族を傷つけたこと」や「歪んだ価値観」の過ちがすべて自分の責任であると知りました。そして今は「自分で自分をご機嫌にすること」で、今後、私が自分の責任を引き受けることに繋がることを学んでいます。

 

その一つに、「DV・虐待 加害者の実体を知る」(ランディ・バンクロフト著、明石書店)にある「変化へのステップ①」には、「現在と過去のパートナーに対して精神的、性的、そして身体的などの暴力をふるってきたことを全部認めること」と書かれています。

それを認めるために私は、W.グラッサー博士が「選択理論」で示す、「相手の邪魔をしないで欲求充足する」ことが一つの方法として役立つことだと学んでいます。それが即ち、「自分を自分でご機嫌にする」ことだと理解しています。

 

例えば、以前は「自分の責任ではない」と思っていた天気も、次のように捉えることで、自分を自分でご機嫌にする機会にしてみます。

・ ある日は晴れた天気を「幸せ」だと捉え、例えば外で楽しむ人々を見ながら「楽しみの欲求」を満たしてみます。

・ 別の日は雨の天気を「落ち着ける日」と捉え、敢えてゆっくり考える時間を作ったりして「自由の欲求」を満たしてみます。

そうやって「天気のせいで気分が良くなった、又は気分が悪くなった」ではなく、「私が天気をどう受け入れるかをリフレーミングして、自分をご機嫌にするか不機嫌にするかを選択する」と捉えてみます。そんな訓練をしながら、自分に責任の矢印を向ける実践をしていこうと思います。そして、今の私の目標である「相手の立場で考える」ことができるようになりたいと思います。

そしてその目標の実践を、既に表明している子供たちがいます。

 

「平和への誓い 2023年」から抜粋

私たちにもできることがあります。

自分の思いを伝える前に、相手の気持ちを考えること。

友だちのよいところを見つけること。

みんなの笑顔のために自分の力を使うこと。

 (以上、広島市のホームページから引用)

https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/education/16190.html

 

既に50歳を越えた私ですが、今、改めて「平和への誓い」を話す子どもたちに学び、その学びから達成する喜びによって「力の欲求充足」を図りたいと思います。そして、これからの自分を「自分に責任の矢印を向ける言動をできる人間」に変われるように努めていきたいと思います。同時に私が傷つけた妻や子供たち、周囲の人々に共感を示し、私は自らの加害行為の責任を一生引き受けてまいります。そのためにも、「自分で自分をご機嫌にする」ことを心がけていこうと思います。

 

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