自分を許すこと

 

別居になって家から出られず布団から出られず何が何だかわからない状態から、少し変われるきっかけになったのは、選択理論の合同クラスでした。講義の中で、5つの欲求について脳は常に満たせ満たせと所かまわず命令し、それが満たされないと脳は「創造的な方法」で満たそうとしてくる(アルコールや薬やうつや攻撃的)になる、という話がありました。グループワークでは、自分を許せないけど許せないと自分を攻撃しつづけてうつになっていても何も償いも更生もできない、といった考えにも触れました。ここから少し前向きになれました。

 

その頃に、「私は私を許します。自分を愛して、他人を愛します。」の不思議な順番といった考え方に触れました。

当時加害してしまった側の自分に対して許すなど到底考えられない考え方ですが、考えられない考え方こそが歪みを出してきたのではないか、という考えに至り、やれることからやろうと思い直しました。

 

私の怒りは、「世間や人は誰も助けてくれない、自分で改善して競争に勝利しつづけてはじめて価値を示すことができ自由を手に入れられる、しかも時間は有限だ」という価値観をすり込まされて、自分も好きですり込んできた、この価値観こそが怒りや加害の原因になっているのではないかと思い至りました。

自分に「もんおせばひほうが」をして人にも「もんおせばひほうが」を意識・無意識に強制し、人に攻撃的になり「みみはとおとくうちはしんし」をしようとしてもできなかったのではないかと思いました。

 

自分が満たされないと感じているので、満たせない自分も、満たしてくれない環境や他人も全部悪い、となっていたと思います。自分をどんなときも上機嫌になんて人間完璧でないのでできない、できる人はいないと決めつけて、結局は環境のせい、周りの人のせい、パートナーのせい、とすることを自分で許可してしまっていたと思います。

 

もう失うものもないので、変えたい一心で不思議な順番ですが、「私は私を許します。自分を愛して他人を愛します。」と毎朝確認しています。自分に「みみはとおとくうちはしんし」をして、はじめてひとに「みみはとおとくうちはしんし」をできるようになるのではないかを実験してみようと思いいまは3ヶ月つづけています。

 

毎日感謝を見つける日記を書いてから、不思議とここ最近良いことが起きていることを実感しています。(10月の課題の言い替え、11月の課題の瞑想も続けています)自分を許し自分を愛し他人を愛することで、愛があふれる人になり、「みみはとおとくうちはしんし」をどんな時も自然にできて、相手の上質世界に入れる人物になるよう更生していきたいです。そのためにまずは、上手に聞ける人になりたい、人の助けになれる人になりたい、と思いクラスに参加しています。

 読んでいただきありがとうございます。

 

※写真は心がつらくて海にいったときに登場してくれたフェニックスのような雲。何回でもよみがえって良いよ、良いようにやり直していけるよ、というメッセージと受け取りとても勇気づけられました。

 

                                                                                                                                                 4-16