あたたかい心を抱きしめて

 たんとすまいるで、AH(アティテューディナル・ヒーリング)をするようになって、最初は、どうしたらいいのか、よく分かりませんでした。自分で、1度、AHの初級ワークショップにも参加しましたが、同じでした。聴くトレーニングということは分かるのですが、気が散らないようにして、「今」にとどまることに気をつけるばかりに気疲れしてしまう感じでした。

  最近、自分なりに、少しコツらしきものが分かったきたので、今回は、そのことについて書きたいと思います。結局、大事なのは、自分を愛(あたたかい心)で満たし、話をしてくださっている相手の人を信頼し、その存在を大切に思い、「大丈夫だよ」と受け入れるような感覚だと思います。こうした聴き方ができるということは、世界を肯定し、私たちDV加害者によくあるような否定性をなくし、怖れでなく、愛とともに生きることに直結します。もはや、攻撃的になることも、防御することも必要なく、無防備になるのです。DVどころか、誰にも優しくできるので、とても大事なトレーニングです。

 

  特に、AHの鍵概念とも言える「あたたかい心」とは何か、ということを、肌感覚で知ることは、とても重要だと思います。私は、以前、この「あたたかい心」が、分かるような、分からないないようなという感じで困っていましたが、今は、こんなことかなと思えるようになりました。

 「あたたかい心」とは、いわゆる心の声ではありません。ここでいう心の声とは、アタマの中に湧き起こる妄想の声のこと(ジェームズ・ドゥティ著「人生の扉を開く最強のマジック」でいうところのDJの声)です。それは、過去に行ったり、未来に行ったり、あるいは、気が散って、感情とともに心を乗っ取ろうとするモジュールです。そうではなく、「あたたかい心」はもっと奥にある純粋無垢な心、人間の良心です。

 私の好きな映画「海街diary」を例に説明しましょう。この映画の中で、4姉妹が通う「海猫食堂」の店主、二ノ宮さち子(風吹ジュン)が、がんか何かの病気を患い、ホスピスで亡くなる直前に桜を見ることができて、「もうすぐ死ぬって分かっとっても、きれいなもんをちゃんときれいって思えるのがうれしい」と言っていたことが、彼女の葬儀の場で語られます。そして、4姉妹の亡くなった父親も同じことを言っていたことが、末っ子の浅野すず(広瀬すず)から明かされます。

 この美しいものを美しいと感じる素直で、共感できる心が「あたたかい心」です。私は、毎朝、通勤途中の道端に咲いている花を眺めます。精いっぱい命を輝かせている花の美しさを美しいと感じ、感謝し、つながりを感じます。あるいは、温かいご飯を口に含んだときの幸せな食感、暖かい日差しが頬にあたるときの温もり、大地を歩いているときの足の裏に伝わる確かさ、空気を鼻腔から静かに吸い込み、酸素が体に広がる感覚、仕事でお世話になっている人の優しい笑顔などにも、幸福な気持ちで満たされます。

  こうした善なる心が「あたたかい心」です。それは、アタマで理解するというより、いのちの感覚です。合理性というより、ゆったりとした流れるような時間です。二元論的な白黒思考、勝ち負け思考でなく、全てが対等、平等に緩やかにつながるグラデーションの感覚です。

 この心がいつも自分の中にあれば、人を傷つけることはしないと思いますが、普段は、不機嫌なモジュールに乗っ取られているのです。私の課題は、できるだけ、1日24時間にわたって、この「あたたかい心」で自分を満たすことです。

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