死ぬときに後悔すること

今月の課題で『死ぬときに後悔すること25』(大津秀一 著)という本を読んだ。

【たんとすまいる】に入会して、まもなく3年が過ぎようとしている。そして、私自身あとひと月で、人生の季節を一巡りしたある節目を迎えようとしている。

人はいつ死ぬかわからない(運命としかいいようがない)。私の父が亡くなった年齢にあと数年で追いつくのだなと、あらためて実感した。

本著を読んでいない方には(ネタバレになり)大変申しわけないが、私自身一番感動したのは、最終章25番目の項目「愛するひとに『ありがとう』といえなかかったこと」である。そして、後に続く筆者の「あとがき」に触れて思わず涙した。

1000人を超える末期患者と正面から向き合って、その最期を見届けてきた緩和医療の専門医が集約した言葉は、深い重みと温かみがあった。

人の後悔は様々であり、25では収まらない。しかし、1つを選ぶとするならば、まさにこの25番目と筆者自身があとがきで挙げた26番目、「家族」のことではないだろうか。

本来、後悔しない「生き方」のヒントを学ぶために読む本だったかもしれない。もっと以前にこの本を読んでいれば・・・、いや、そうではない。更生プログラムを通じて、今この瞬間にこの本と巡りあえたことに感謝しなくてはならない。

過去は変わらない。自分がしてしまった暴力や暴言を相手の記憶から消すことはできない。それでも、今から私自身は変わることができる。新たにチャレンジすることもできる。私に残された時間は限られているが、まだ人生は終わってはいないのだ。

亡き父は、ある日突然ステージⅣの末期ガンで余命3か月と宣告された。それでも懸命に治療して、6か月生き延びた。亡くなる少し前に父を囲む宴席が設けられた。「みんなのおかげで(医師の宣告より)長生きすることができた。すべての人に感謝、ただ感謝の言葉しかありません」と快活に言い切った父の笑顔は、今でも私の脳裏に焼き付いている。

【注:写真は1月1日に震災に見舞われた能登町にある「真脇縄文遺跡」】

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