自分の中の二面性

このブログ記事を目にとめて下さりありがとうございます。皆さん、今年はお花見できましたか?皆さんの周りの桜はもう散ってしまったでしょうか。私が初めてたんとすまいるのグループに参加した時も、ちょうど桜が咲いていたと思います。「思います」と書いたのは、自分の記憶の中の当時の景色に全く色が無いからです。私の暴力から妻さんが避難するため別居になり、ほどなくして離婚届が送られてきた私は、現状を受け入れるための気持ちの整理に必死で、景色など見ている余裕は全くありませんでした。

それから数年が経ち、たんとすまいるで学び始めて何度目かの桜の季節になりました。自身に起こった変化は微々たるものかもしれませんが、少しでも自身の暴力と向き合う事を忘れぬよう、日々の学びを続けています。そんな中、仕事の人間関係の中で気が付いた自分の二面性について、少しお話しさせていただきたいと思います。

私が働く部署は少人数なこともあり、昨年の春、冬と新たにメンバーが増えました。春に入社されたAさんは私が教育担当者でしたので一緒にお仕事をする機会がとても多い1年でした。冬に入社されたBさんは私の上司にあたる方でしたが、その方とは専門分野が違ったので担当しているプロジェクトで直接かかわることは少なかったかと思います。

Aさんが入社されてから私が参加する打ち合わせには、ほとんどAさんにも同席いただいていました。Aさんは中途採用で資格もあったので、ある程度スキルがある方だろうと予測していた私は、Aさんの会議での姿勢にやや疑問をいだいていました。いえ、言葉を濁してはダメですね。私はAさんにはっきりと不満をいだいていました。それは、Aさんが会議で発言をしないことや、会議の内容を後日確認すると、そもそも内容を理解していなかったことなどが続いた点について、自分がすごくストレスを感じていたからです。「新卒じゃないんだから、ある程度自分のアウトプットを示してくれよ。会議に参加するなら、どんな質問でもいいから発言してほしいし、もし内容がわからないのなら終わった後にでも聞いてくれればいいのに。。。」などと、当時のAさんに対してとてもネガティブな印象を持っていました。つまり私は、『Aさんが会議に発言しないこと』に大きな不満を持っていた、ということになります。

さて、季節がかわり冬になるとBさんが入社されました。Bさんも中途採用の方で前職の業界がとても近いため、その経験が買われての採用になったと聞いていました。Bさんが入社後に部署のプロジェクトを把握頂くため、いくつかの会議にオブザーバーとして参加いただきました。私がリーダーを務めていたプロジェクトで、外部の協力会社の方との会議に参加していただいた時のことです。このプロジェクトはBさんの専門分野とは全く別物であったため、私はBさんに対して「頼むから余計なことは言ってくれるなよ」と思っていました。そんな中、Bさんが発言した内容が、他社の方には意図がわからず、議論が錯綜する事態になってしました。私が両者の間をフォローしつつ、何とか会議を終えた時に、「なんでこの人は会議前に説明したことや、背景を理解していないのだろう。自分が最終的に関わらないシステムの仕様にまで 絶対こうすべきだ! なんて断言する意味が分からない。そもそも分からないなら発言するなよな。 」とすごく疲れて、Bさんとは仕事をしたくないと思っていました。つまり私は、『Bさんが会議に発言したこと』に対して不満を抱いてた、ということでした。

Bさんとの会議があった日の帰りの電車です。今日の仕事や自分の気持ちなどを振り返っていた私は、Aさんとの会議で抱いた気持ちを思い出しました。そうです、これが私の二面性でした。ある場面では「中途採用の人間は即戦力なので、会議で発言すべきだ!」と思っているし、別の場面では「中途採用の人間は状況が分からないので、会議で発言すべきでない!」と思っているわけです。つまり、自分にとって都合の良いように自分のなかの考えを出し入れしていて、さらにその価値観が矛盾していることに気が付いていないのです。もちろん、AさんとBさんの状況や会議の内容が違うので直接比較できないことかもしれませんが、この矛盾は自分がまだ 『べき論 で他人をコントロールしようとしている』ことや、『べき論 を自分にとって都合いいよう解釈し使っている』ことを示していると思います。

そんな自分に気が付いた私は、この自己矛盾に愕然としつつ、自分の二面性に気が付く良い機会だと切り替えました。その後、幸いにしてAさんとはとても良い関係性を築くことができ、先日「自分はこの会社に入社出来て本当に良かったです!」と笑顔で言ってもらえました。一方でBさんとの距離感は正直測りかねている部分はあります。ですが、自分にはないBさんの専門性を尊重しつつ良い距離感で仕事ができるよう関係性を築いていきたいと日々試行錯誤しております。たんとすまいるでの学びを数年続けてきた自分ですが、まだまだ学びの「のびしろ」があります。暴力につながらない価値観や選択肢が、自分からにじみでるには、もっとやるべきことがあることを再確認できた出来事でした。

 

写真は、近所の神社に咲いていた里桜です。春に生まれた私にとって、桜は特別な存在でした。毎年、満開の桜をみると自分の誕生を祝福してくれているような、そんな気持になっていました。今年の満開の桜は、きっと数年後に思い出せるくらい、色鮮やかでした。この気持ちを思い出せるようになったのも、私に学びのきっかけをくれた元妻さんや、学んでいる私を信じてくれた新しい家族、たんとすまいるの仲間たちのおかげです。この感謝を忘れず、学び続けていきたいと思います。

                                         2-6